第二話
城を出て、城下町。勇者は広場のベンチに腰掛けている。両手を広げて、背もたれに全体重を預けて、気だるそうに空を仰いでいる。側に立つ姫はそんな勇者を少し心配そうに見ている。 「あの、勇者 様?」 勇者は緩慢な動きで姫を見やる。 「どうなさったのですか?」 と、姫が言うのも無理はなく、かれこれ一時間もぽけーっとしていた。謁見の間で見せた凛々しい顔と雰囲気は見る影もなかった。 勇者は大きなあくびをした。手で口を覆うこともしない。あくびのひょうしに涙がこぼれる。 「真面目な顔って疲れるよねえ」 けたけたと笑いながら勇者は姫に言う。姫は困惑しながら曖昧に頷くことしかできなかった。 このどこか頼りげのないのほほんとしているのが本来の彼であり、王との謁見時に見せた顔はいわば営業スマイルのようなものだった。 当然、魔王討伐に際してそれほどの意気込みはなく、前任の勇者候補に対して述べた言葉も金を引き出すための方便でしかなかった。 今はただ空を流れる雲を眺めながら、五〇〇万の使い道をぼんやりと考えているだけだった。 「勇者様。旅の支度を整えなくてもよろしいのですか? 装備を整えたり、薬草や聖水を買い揃えたり」 勇者はんーと唸ったあと、いきなり立ち上がって、輝いた目をして言った。 「やっぱりカジノに行くべきだと思うんだ。金もあることだし」 普段から勇者はカジノに行っては散財を繰り返していた。今回は軍資金が普段の何倍もあるので、すりきるまでには当たりを引くだろうという安い考えだった。 もちろんアナ姫は反対する。 「何を言ってるんですか。これは民の税金からでているのですよ。それをカジノなどといういかがわしいものに使うなんて許しません」 左手を腰にあて、右手の人差指をたて、勇者の前に突き出す。まるで子供をしかるような姫の態度に勇者はぽつり「おかんか」とつぶやいた。 「噂だとカジノには伝説の武器防具すら凌ぐ装備があるらしいじゃん? 装備を整えると思って ね、ね?」 「いけません!」 姫はねだる勇者をいっかつした。 姫は少し、いや、かなり心配になってきた。この勇者のギャップに。彼についていっていいのだろうか、と。 「じゃあ、姫様は何がしたいのさ」 勇者はふてくされた態度で姫に訊く。アナ姫は口元に指をあてて、考える素振りをするとこう言った。 「そうですね。やっぱり酒場に行きましょう」 酒場。それは冒険の醍醐味。職を求めて兵どもが集まり、雇い手を待っている。ありとあらゆる職業の人間が集まる人材の宝庫。 「あー、あれな。バニーの姉ちゃんが店番してて、肩書きだけの実質無職どもの巣窟」 「言葉が悪いです、勇者様」 「だってー、そうじゃーん」 勇者はよくわからないくねくねとした動きをしながら言う。まるで軟体動物だった。 姫に連れられて酒場の前までやってくると、勇者は妙に興奮していた。もちろんお目当てはバニーの姉ちゃんだ。 わくわくしながら酒場のドアを開く。 「やあ、ガルーダの酒場にようこそ」 思いっきりずっこける勇者。を出迎えたのは鳥人だった。 「なんだ! この鳥人間は。ルイーダはどうした! ルイーダは」 がなりたてる勇者。ガルーダは翼の手で器用にグラスを拭いている。 「社長でしたら本社におりますかと」 ルイーダネットワーク。酒場の経営を主体に、仕事の斡旋、情報の取引、物資の運搬等を手掛ける会社であり、数年前に一地方の酒場店主であった女性が設立し、今では大陸最大手の冒険酒場会社となっている。例のアレとはなんら関係はない。 「てか、お前。北方の国じゃ神と崇められてなかったか」 勇者はガルーダを指さして言った。 「おお、よくご存知で。そちらの方ですか? まあ、最近は信仰者も減りまして、収入もすっかり寂しくなりまして、こうしてアルバイトをして生計をたてているのです」 このガルーダ、言ってしまえば魔物なのだが、良い魔物とでも言おうか、もともと北方の山村の村々で神として崇められていた存在である。が、人口の減少、文化の発展、若者の神離れに伴い、パワーの源である信仰心が足りなくなってしまった。 そういうわけで人里に降りてきて、適当な説法でも説いて、奇跡を起こして、信仰者を獲得しようというのが当初の目的であったのだが、信仰心がなければ奇跡を起こす力もでないし、腹も減るしで、行き倒れていたところをルイーダネットワークの社長、ルイーダに拾われ、イースランド城下町支店の雇われ店長をしていた。 今でも信仰者を増やす目的は忘れたわけではないらしく、酒場を訪れる客々に「私のこと信仰しませんか」と怪しいカルト団体のような声をかけているのだとか。 アナ姫が前にでて、ガルーダに言う。 「冒険にでるので仲間を探しているのですが。お強い方で、できれば男性の方がいいのですが」と、姫が言い切る前に勇者が声を挟む。 「男はだめですよ! 男は」 勇者は謁見の間で見せた無駄に凛々しい顔で姫を説得にかかる。 「いいですか。魔王討伐は決して楽なことではありません。長い旅になることでしょう。ですからパーティーの人数は女が多いほうがいいのです」 何故ですか、とアナ姫が問う。 「男は狼なのよ、気をつけなさい、という格言があるくらい、自分で言うのもあれですが男は危険なのです。旅が長くなればストレスも溜まるのです。そんなとき女性を見て、悪い気を起こさないとも限りません。 基本的に女性は男性に腕力でかないません。姫様の細腕など簡単に押さえつけることができるのです。 男性の数が女性の数以上の場合、まわされる確率は八〇パーセント以上というデータがあるんですよ! 今言ったように力で簡単に押さえつけられるのですから、これは当然です。 しかし、逆の場合において女性の被害者はほぼ〇に近いと数字にでています。一人押さえつけても、他の女性が残っておりますから、事に及ぶ前にやられてしまうのです。 ですから、冒険において性別の数的有利はとても、とても重要なことなのですよ!」 姫はちょこっと手をあげて、質問した。自分の無知を恥じるように。 「まわされるってなんですか?」 勇者はあたりをきょろきょろ伺って、まるで重要な秘密を話すような雰囲気を作り出す。そして、姫に近づき、耳元でささやく。とたんに姫の顔が赤くなった。 「ガルーダさん、女性です。女性の方を紹介してください!」 ガルーダは半笑いで、二人のやりとりを眺めていた。 カウンターの下から名簿を取り出す。それを二人に渡す。名簿には簡単な紹介とその人の写真が貼られていた。 勇者はそれを見て。 「なに。ここってそういうお店?」 ガルーダは大きなため息をついた。 ページをめくって行き、勇者の目に一人の女性の写真が目にとまる。 「この人。この人紹介してくれ」 ガルーダは奥に下がり、人を呼ぶ。姫は勝手に決めてしまった勇者を軽くにらみ、次は自分に決めさせてくれるように約束させた。 褐色の肌に銀色の髪の毛をした少し背の低い少女が現れた。上は胸巻きにベスト、下は少しゆとりのあるズボンだ。大きな肩掛け鞄を提げている。ひとなつっこそうな瞳が可愛い少女だった。職業は商人。 紹介と言っても、店側の仕事はここまで。顔を合わせるところまでで、賃金、待遇、その他もろもろの交渉は自分たちで行わなければならない。交渉がうまくいけば旅の同伴者になるし、そうでなければこれっきりということはよくあることだ。 商人はテーブルにつくなり、大きな驚きの声をあげる。 「あなた。そう。あなたですよ」 と、勇者を指差す。 「あなたの背後に大変なものが憑いていますよ」 勇者が背中を向くと、アナ姫がたっているだけだった。商人のほうに向き直る。 「このままでは遠くない未来に死んでしまいますよ。背中の憑き物のせいで」 「それは本当か!?」 「ホントもほんとう。マジです。商人の心得として占星術をはじめとした占いを会得しているので、これはもう確実です」 「どうにかならない?」 「死にたくない と?」 大きなタメをつくって商人が訊く。勇者は力強くうなずく。 「でしたら、この幸運を呼ぶ瓶を買うべきです!」 「持ってるだけでいいの?」 「赤いものを入れるとさらに運が上がりますよ! ラッキーカラーってやつです!」 かばんからガラス製の透明な円柱の瓶をとりだし、勇者の前につきだした。それは少し古ぼけたねじ蓋のオーソドックスというか、なんの変哲もない瓶にみえる。というか、そうなのだ。彼女が以前、ぼろ布をまとった老人から安く(一G)買い取ったものだった。 ちょうど砂漠のオアシス三つ分の大きな仕事を終えたあとでテンションのあがっていた彼女は魔物すら保存できる魔法の瓶という言葉に面白そうだと感じて買ったはいいが、高揚した気分が落ち着いてよくよく考えれば、こんな胡散臭いものを買う人がそういるわけもなく、処分に困っていた。 勇者の顔を見て、これはいけそうだ、と感じた商人はさっそく商売にでたわけだ。 「でも、お高いんでしょう?」 「確かに少しお高いですが、あの世で銭は使えませんから」 そう言うとにこりと笑って、五〇〇万です、と付け加えた。 もちろんこの五〇〇万適当にでてきた数字ではない。彼女はこの町に来て長い。つまり長いこと誰からも雇われていなかった。 「余計なことは言わなくていいんです!」 あ、はい、すみません。 そいでもって、どっちが背中だかわかんないような色気を用いて、ちょっとろりーん趣味な王城兵士にツテをつくっていた。そのツテから今しがた、新勇者御一行が破格の支度金を貰ったという情報を得ていた。 勇者の顔は知らなんだが、情報を貰ってから、この酒場に来た時間を考えればという推測はたつ。最近の魔物の活性化のおかげで酒場で仲間を集めるような旅にでる人間が減っているということは商人にとってはラッキーだった。 勇者は商人のふっかけてきた金額に腕を組んで悩んでいた。そりゃあ普段なら悩む必要もない額なわけだが、運がいいのか、わるいのか、ちょうどぴったしの額が懐にある。それが商人の罠だろうと勇者に知るすべはないのだから、命を天秤に載せられれば悩みもするだろう。 「よっしゃ」と両膝を軽くはたいた勇者は懐から金袋を取り出そうとする。が、それをアナ姫がとめる。 ひきつった笑顔で言う。勇者の奔放ぶりに少し我慢の限界が近いようだ。 「さっきも言いましたが、これは税金です」 「しかーし、俺が死んだらもともこもないだろう」 「勇者様がお亡くなりになっても、次の勇者をたてればいいだけですから安心してください」 ひどい。これはひどい言い草。あの大臣なんかよりも何倍も冷血。これが聖母と呼ばれた王妃の娘なのだろうか。 勇者は涙目で姫を見ている。商人は冷ややかな目で姫を見ている。ガルーダは退いた目で姫を見ている。店の奥からトーテムポールみたいに頭並べた自称武闘家共が軽蔑した目で姫を見ている。 アナ姫はおおきく咳払いをした。 「じょ、冗談ですわ」 「なんだ冗談か」 「なんだ冗談ですか」 「なんだ冗談だったのか」 「じゃあ、買うね」 「じゃあ、売るよ」 勇者は五〇〇万ゴールド失った。怪しげな瓶を手に入れた。 商人は受け取った金袋をカウンターの上にいったん置いた。それから瓶を差し出し、勇者はそれを両手で受け取った。その瞬間、瓶が光りだした。光はだんだんと強まり、酒場の外に閃光が漏れ出す。視界は真っ白になり、何も見えない。 鈍い音が耳に届く。閃光に包まれた白い部屋の中で勇者が叫ぶ。 「なんだ、お前! あ、てめ」 椅子が倒れる音がして、すぐ後にドアを叩き閉める音がした。 光が収束していく。 まず声をあげたのは商人だった。カウンターの上に置いておいた金袋がなくなっていた。 「なー! なんでえ」 それから姫が床に倒れていた勇者に駆け寄る。 「大丈夫ですか」と言おうとして、言葉が途切れる。顔を勇者から背ける。勇者の右目のまわりにくっきりと浮かんだ青あざがおかしくて、吹き出しそうになったのを堪えたためだ。 勇者は目のあたりを押さえながらゆっくりと立ち上がる。 「いつつ。なんだあの男、急に殴りやがって」 胡散臭い瓶の突然の発光に乗じて、なにものかが金を持ち逃げしたらしかった。 姫は勇者の傍らに膝をつき、青あざのまえに手をかざす。姫の手に淡い光が灯る。かざした手を離すと、勇者のあざは消えてなくなっていた。 勇者は感嘆の声を漏らす。 「そんな。治癒魔法の初歩ですかから」 「そんな謙遜しちゃってえ」 「いやいやいやあ」 「よ! 大陸一!」 「いやいやいやあ」 どこかおっさん臭い照れ方をする姫。それを囃す勇者。カウンターの影に体育座りで落ち込む商人。 「大丈夫ですか?」とアナ姫が声をかけると、ゆっくりと振り返り、勇者の目をじっと見つめたあと、急に勢いをつけて立ち上がった。 「返してください! 瓶々」 「嫌だ! ビンビン」 「泥棒です! びんびん」 「取引は成立してた! BinBin」 勇者の言うとおりなのだ。金を受け取り、商品を受渡した。ということは商談成立していたということ。 その後で金を盗まれたのは商人の落ち度でしかなく、商品を引き渡すように言う権利など微塵もないのだ。あわれかな、商人。 「なあーっ! 私、探してきます!」 と、商人はカウンターを飛び越えて、店を飛び出ていった。そんな彼女を二人はぽぇーっと見送ることしかできなかった。 姫は思い出したように、手のひらをポンと叩いた。 「あの発光現象はなんだったんでしょうね。」 「これか?」 と、勇者はこともなげに手のひらを光らせてみせた。 勇者が習得している数少ない魔法で、主に借金取りなどからの逃走時に強く発行させ、目くらましに用いている。故に魔法の瓶が発行していたわけではない。 勇者は懐から金袋を取り出すとにかっと笑う。 「あんな発光の中で男かどうかなんてわかるわけないっしょ?」 自作自演。五〇〇万なんて大金を払うきなど毛頭なく、初めからだます気でいた。 発光と同時に金を懐にしまうと、自分で顔を殴り、軽く暴れる。入口のドアを勢いよく閉め、誰かが逃走した雰囲気を持たせ、すぐに床に転がる。発光魔法をとめる。商人が金のないのに気づくのに便乗して、適当な台詞を吐く。発光現象と大金紛失で気が動転している商人をだます一言を。 平常時ならだまされるわけもない状況であるが、人間とはパニックに弱い生き物だ。 アナ姫は顔を手で覆っている。 「良心の呵責というのはないんですか?」 「そんなものじゃあ飯は食えない しな」 こうして勇者は五〇〇万を失うことなく、幸運の魔法瓶(?)と商人を手に入れた。 はてさて次に仲間になるのはどんな子なのだろうか? 続くったら続く。続く。……続く。