第二話 後編
ユンファ、レオンが二機を撃墜したあと、レオン機の損傷具合から帰投を余儀なくされたエイジらは戦闘宙域にかかることなくコロニー戻ることになった。 しかし、その頃には雌雄が決していて、ポーラの味方連中は蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ってくる最中であった。 こうも早く決着がついたのはアトランティカの大エース、黒い悪魔と新進気鋭のエース、ポーラにはその機体に描かれたマークから白薔薇とか呼ばれている、の活躍に依るところが大きかった。というのが昨日の戦闘の顛末である。 「七ポイントだぜ! 七ポイント」 ユンファとレオンの二人は大通りにある飲み屋の外席で飲んでいた。朝っぱらからである。が、正確に言えば昨晩から通してだ。 レオンはビールジョッキを振りあげて、大声でそう叫んだ。嬉しそうに頬を緩ませている。普段から陽気な男であるが今回の戦果はよっぽど嬉しいものだった。 レオンにとってエースクラスのパイロットを撃墜することははじめてのことであったし、それどころか二ポイント以上ついたパイロットを墜とすことじたいが初めてのことだった。 そういうことだから一晩飲み続けてもその喜びが薄れることはなかった。 ただこのやりとりも昨晩が延々と続けられているものでやや醒めた視線を送るユンファに敏感に反応をして難癖をつけるエイジの様酔っぱらいのそれである。 「そりゃあお前はエース様なんだから俺のような凡俗の気持ちなんてものはわからないでしょうがあねえ」 ユンファのほうも初エースクラス撃墜と同時に五機目の撃墜を数えたことでエースになっていた。だから、レオンがやっかむのだ。 大昔で言えば五機撃墜はいいパイロットであることの証明であり、エースと呼ばれていた。 しかし、現在の五機撃墜はこれでようやく一人前という意味合いが多い。というのは延々と戦ってばかりいるから自然と撃墜数を稼ぎ易くなからだ。 それは敵国であるがアトランティカの黒い悪魔と呼ばれるエースが三〇〇機以上撃墜していることからもわかるだろう。彼の記録が極端なものとしても五〇、六〇くらいのパイロットが五〇も六〇もいるのだから五機撃墜の程度はわかってもらえるだろう。 昔からの習わしでエースと呼ばれているに過ぎないにしても、それはひとつの節目として確実に存在するものであり、喜ばしいことに変わりはない。 「そんなこと思ってません」 顔にかかる黒髪を耳の窪にかけながら、声の調子を平坦にするよう気遣いながらこたえてみせるが、顔の方はレオンと同じく緩んでいた。人にエースになったことを言われれば嬉しいのだ。 レオンはジョッキのビールを一気に飲み干すと、くだをまく。 「だいたいよお、あのエイジって男だって俺が七ポイントもとったのが気に入らないからって殴りやがってよお。大した実力もないくせにさあ」 レオンは今はもうなんともない頬をさすりながら言った。 帰還後にいつかのユンファのようにエイジに殴られたことを根に持っているのだ。 「でも理由をきけば納得のいくことでしょう。だって戦闘中に操縦桿を放るというのはいけないことよ。それはきみだってわかっているんでしょう?」 「そういうのはあの人の理屈だろうに。俺達には関係ないじゃないかあ! それらしい理由をつけて俺達を殴りたいだけなんだよ! 差別で悦に浸ってんのさっ!」 「今日……ううん。昨日だってよくサポートしてくれて墜とすのは譲ったくれたじゃない。自分でやろうと思えばできたはずでしょう。そういう人だと私は思うけどな」 ユンファが好意的な意見を述べると、レオンはドンと力のかぎりテーブルを叩いた。そのせいで、つまみののった皿が地面に落ちて割れてしまった。 「それこそ都合よくとらえってるってもんだ!」 「それはきみのことでしょう!」 「あいつが好きなのかよおっ」 そう言い終わる前にレオンはテーブルの上に突っ伏してしまった。 ユンファは彼の顔が赤いのは怒っているせいだと思っていたが、よく考えればろれつもまわっていなかったようだし、昨日の晩からずっと飲み続けていればこういう想像をさせる。 「酔ったんですか? ちょっと」 ユンファは言ってしまってから自分のこの発言を苦笑した。アルコールで酔うなんてことはありえないのだから。 しかし、彼の状態は酔っていると言うほかなく、彼女はどう対処すればいいのか頭を悩ませる。 と、そこに偶然前を通りかかった同期がユンファを見てよってくる。 「おお、聞いたぞ。エースだって?」 大きくないコロニーだからこういう噂が広まるのは早い。とくに最近のポーラは嫌なニュースばかりだったから。 彼女は男のほうに顔を向けて頷いた。 「まさかお前がなあ」 と感嘆の声をもらすのも、彼女があまり出来のいい奴ではなかったからだ。 「自分でも驚いていますよ。一機も墜とせずに墜とされるのが関の山だ、って言われていましたからね。きっとエイジさんのおかげです」 「お前んとこの隊長? すごいの? うーん、聞いたことあるようなないような」 男は顎に手をあて、記憶を探るように頭をひねる。レオンが二人の間に身を乗り出してきて、言う。 「すごくない! すごーくないのだ。ぜんぜん。だってよおまだ一機も墜としてないんだぜ? なあ、そうだよなあ。だいたいあんな差別主義者はーよお」 今シーズンのはなしだ。 男はレオンを見て、ぎょっと目を丸くした。 「え? おい、大丈夫か?」 男はユンファのほうに顔を向ける。ユンファは肩をすくませてみせる。レオンは丸テーブルの上に力なく崩れ、おおいびきをかきはじめた。 「あー、俺が運んでこうか?」 「本当ですか。お願いしますね」 この申し出はユンファには僥倖だった。昨晩から付き合わされて疲れていたところであったし、「酔っている」レオンの扱いにも困っていたからだった。 男の申し出にはユンファに対する好意が含まれていたのだけれど、彼女がそのことに気づくことはなかった。 レオンの腕を肩にかけ、持ち上げると、男はユンファに会釈をして歩き出した。ユンファは軽く手を振り見送る。男は少し行くと立ち止まった。ユンファは不思議に思い首をかしげる。 男はユンファを振り返って叫んだ。 「じゃあ、また」 そう言うと男はあわてたようすでまた歩き出していった。彼なりに勇気を振り絞った行動だったのだ。 彼女に好意を抱くような男は奥手な者が多かった。会ったその日に股を開くようなガツガツとした空気がないのがいいのだ。 逆に女を漁る男から言わせれば、形はいいけどそれだけだね、という女だった。 男の行動を理解しかねたユンファはまた首をかしげるのだった。 言うまでもなく彼女は無垢な赤子ではないのだから、男と女のセックスというものを知っている。しているものの同僚の男が自分をそういう目で見ているとは露ほども思っていなかった。 男とレオンの背中を見送ると、ユンファは歩き出した。 同じ通りにある書店に足を運んだ。書店と言っても今時、紙の本を置いているわけではないので猫の額ほどの小さな店である。紙の書籍がないわけではないが、だそうものならひんしゅくを買う。 店の壁際に奥に向かって五台の端末が置かれている。その端末と反対の壁までの間は人が一人通れるくらいしかない。こういう形態の書店が今の主流となっている。 端末の検索機能で書籍を探し、自分が持っている小型の端末へとデータを落とすのだ。 書籍をデータ化したせいで本離れが進んだと言う専門家も少なくない。 データ化したおかげで、前時代のような大きな店舗スペースはいらなくなったし、紙も消費しなくなった。利点と言える。 が、どうだろう。狭い店舗内。壁に身を摺りつけながら、人がすれ違う様を想像して欲しい。それはあまりに陰鬱で、いかにも根暗ではないだろうか。 そういう雰囲気を若者は好まない。書店に寄り付かなくもなる。 紙の質感が好きというものもいるのだ。データというだけでそういう人種を落胆させるには十二分過ぎた。 ユンファが書店を訪れた理由はデータを買うというものではない。彼女もまた紙が好きな人種の一人だった。 「こんにちは」 店の最奥で前時代に発行されていた週刊誌を、白手袋をはめて読んでいる店主に声をかけた。 店主は雑誌から視線をはずし、ユンファをみると嬉しそうに笑った。 「いやあ、チャンさん。待ってたよ。同好の士なんてこのコロニーじゃあチャンさんくらいだもの」 店主の言葉はそれほど大げさでもなかった。 ユンファも普段はデータ書籍を読むのだが、どうしても好きになったものだけは紙の書籍にしてもらうのだ。紙の書籍は個人の受注ぐらいしか造られていなかった。 そうなると当然お高くなる。一冊買うとその月の生活が厳しくなるくらいの値段をした。 彼女は店主と話に花を咲かせた後、頼んでいた本を受け取り、店を後にした。 ユンファは本を胸で抱えると女学生のように歩き出した。 宿舎に帰る。パイロット用の女子寮である。外観は簡素で飾り気がなく、そのことに文句を言う者もいるが、彼女は気にしていなかった。中身――部屋が他より少し広いので、むしろ気に入っていた。 部屋に帰ると、本をテーブルの上に置き、脱衣所に直行した。体にこびりついた酒の臭いをいますぐ落としたかった。 ほとんど酒を飲まない彼女にとっては「付き合い」はひどく疲れるものだった。 上を脱ぎ、白地のTシャツを脱ぐと、ブラに包まれた胸が揺れた。手を後ろに回し、ブラジャーも外すと、かごの中にほおり投げる。ベルトに手をかけ、留め金をはずす。ファスナーをおろし、ズボンを脱ぐ。まるで色気のない、小学生でも履かないような白地だけのパンツがあらわになる。が、おむつよりはましだ。 片足が引っかかり、布が裏返る。右手をその中につっこんで、もとに戻すと、またかごの中にほうり投げた。 一度風呂場に入るとシャワーの栓を引き、ヘッドを浴槽の中に放り込み、脱衣所に戻る。 かごの中の洗濯物とにらめっこをする。そこには何日分かの衣服が入っていた。 「明日……まだ……けどな……」 ひとしきり悩んだあと、洗濯機の蓋をあけた。 洗濯機が動き出したのを確認すると、ユンファは風呂場に行った。 シャワーヘッドを掴むと、頭からいっきにあびる。 「んっ」 声が漏れる。 ヘッドを壁の掴みにかけると、ボディーソープのノズルを押し込み、左手で受けた。それを汗と酒の臭いの混じる体にぬりたくる――。 シャワーを浴び終わると、バスタオルで頭をふく。全裸だ。 冷蔵庫を開けると、水の入ったペットボトルを掴む。地球産の高い奴だ。彼女に味の違いはわからない。地球に降りたことがないから本物の味を知らない。それでも選ぶのはやはり地球への羨望なのだろうか。彼女のような存在でも回帰心が生まれるのだろうか。 キャップをねじって、一口飲むと、それをテーブルの上に置いた。 タンスをひいて、下着を取り出す。さきほど履いていた味気のないパンツとはうって変わって、レースのついた薄い黒の紐パンだった。 いつか同僚の女性からプレゼントされたものを捨てずに持っていたわけだが、これを履く機会はまだなかった。 それを戻して、別なのを履いた。 ベッドの上に寝転がり、テレビをつける。 それを見ることなく、ユンファはすぐに眠りに落ちていった。