第二話 前編
ちょうど三機が訓練飛行を終えてベイに戻ってくると、ベイの中は慌しく動いていた。ほんの数十秒前に戦闘発生の連絡があり、出撃準備をしているのだ。 そうなると彼らが出撃するのは一番最後ということになる。空のドールのお世話なんて後回しで、出撃できるドールの準備が優先されるからだ。 次々と発進していく味方をベイの中のスタンバイルームのガラス越しに見下ろすことしかできないのだ。 エイジは壁に接地されたソファに座りながらチューブコーヒーを飲んでいる。ユンファが運んでくれたものだ。そんな落ち着いた二人をよそに手柄をたてたいレオンだけが目に見えていらついていた。 彼らが出撃できたのは、最後の機体がベイを飛び去ってから三〇分以上経ってからだった。 ずいぶんと出遅れたエイジたちの前方から二つの機体がバーニアの白い尾を曳いて飛んでくる。それに最初に気づいたのはエイジだった。気づいたと言っても遠くで何かが光った気がした程度だが。 三人のいる場所は戦闘宙域の端にもかからない。かといって損傷を負った味方機が帰ってきたとするなら、そのバーニアの発光は力強すぎた。 手元のコンソールパネルに右手を伸ばす。コックピット内を覆う球状のスクリーンのフロントに映る映像を拡大した。 拡大され画像には敵機、ダルトスが映し出されていた。コロニー・アトランティカの主力ドールマシンである。それぞれの機体頭上に七と五の数字がモニタに表示された。 エイジらの乗るドウム7が力で押す機体だとするなら、ダルトスは機動力が売りの機体である。 ドールマシンの中でもやや小柄であり、スマートな体型をしているのは装甲を極力削って、スピードで戦うためである。 しかし、ダルトスの最大の特徴は機動性ではなく、別にある。 それは容姿だ。 ドールマシンの基本として体に四肢がついて頭がある、いわゆる人型ロボットと言われる類の存在であるが、その活用目的は兵器であるから、無骨なものがほとんどである。 しかし、このダルトスは従来のドールマシンよりはるかにヒトに近く、頭は顔そのものであった。 ドウム7の頭は短口径のヘッドバルカンが一門とラインアイと通称される幅のある線状のセンサーカメラが付いているだけである。 ところがダルトスの頭、いや顔には目があり、口があるのだ。目はドウム7と同じくセンサーとカメラを内蔵しているのだけれど、口は完全なデザインだけのものであった。 ダルトスが実戦配備されたころは「人にちかけりゃあいいのもかよ」とポーラの連中は笑ったものであったが、近頃の戦況をみればそうは言っていられなくなった。 ポーラの次期主力機には鼻までついている、と噂されているくらいだ。 「ユンファ! レオン!」 エイジが叫んだのは注意を促すためであり、このエイジの言葉で二人はようやく敵機の存在に気がついた。戦闘宙域とはまだ距離があるという理由で索敵を怠っていたのは経験の乏しい若さである。 二人がそれぞれ左右のスクリーンを拡大して、別方向からせまる敵機がないか探る。が、それは既にエイジが済ませた行動であり、彼は敵が前方の二機だけだと判断していた。こういうところがレオンが言うほどエイジが無能ではないことを証明している。 前方の二機が単独で飛び出してきたと判断した理由は別にもある。それは頭上の七と五のポイントマークが証明する二人がエースになりたてだということである。 エースクラスになったばかりの敵パイロットの驕りともとれる自信が宇宙空間をはしって伝わってくるような気がした。 敵が二機だけとはいえ、そろってエース級である。一方のエイジには新米が二人もぶらさがっている。また搭乗する機体でも劣っている、とエイジが思うのは彼の好みがおおざっぱにパワーで押し切るドウム7よりも小刻みに駆動する繊細なダルトスのほうがいいという個人的な意見であり、カタログスペックを総合すれば両陣営の機体能力は大差ない。 この状況にレオンは胸を高鳴らせて興奮していた。なにせ出撃がさんざん遅れたわけだから、今日の撃墜マークは無理だと諦めていたところに、向こうから敵がやってきたとなれば、彼という男なら興奮するほかあるまい。 しかし、彼は新米で相手はエース級。墜とせるという根拠のない自信はどこから湧き上がるものなのか甚だ疑問である。 それは若者の精気あふれる生命力からくる自信なのだろうが、それをただ若さと片付けるには疑問が残る。 なぜならその時、ユンファは手のひらに汗を浮かべながら、操縦桿のグリップを神経質に握りなおしていたのだから。パイロットスーツの中の手のひらを拭うこともできず、気持ち悪さだけが拡がっていく。 「もう……っ」 ユンファは自分にむかって小さな声で悪態をついた。 もう何度も出撃して、アトランティカとの戦闘を経験している。少ないとはいえ場数を踏んできたのだ。敵だって墜としている。 それなのに敵と遭遇するたびに悪い意味で鼓動が速くなり、手のひらに汗をうかべてしまうのだ。 この緊張だけはどうにもならず、そういう自身の臆病なところが嫌になる。ユンファは操縦桿を握る手に精一杯の力を込めた。 功名心から今にも飛び出しそうなレオンを抑制しながら、エイジの機体が頭になり、左右にユンファ、レオンを垂らして飛んでいく。 射程の端にかかるとエイジはライフルを構え直進する。まず牽制の一射。そして、相手の回避行動を予測して、その軌道上に一射。三発づつ計六発の弾丸が打ち出された。射撃終了と同時に回避運動をとる。 トリガーを弾き、三つの弾丸が宇宙の暗闇を標的に向かい飛んでいく。うちの一つが光を帯びて飛ぶ曳光弾なのは、やはり広い宇宙というフィールドで着弾を確認しやすくするためである。が、今回の意図は違った。 光の尾っぽをつけた銃弾の軌道を受けて敵機が左にスライドしたのは、それが機体の中心線よりも右に軌道を持っていたからである。 しかし、曳光弾はその安易な敵機の回避運動をあざ笑うかのようにその横を通過していったのも、この動きを誘発するために放たれた光弾だったからである。 だから、その回避運動はエイジの予測の及ぶところであって、曳光弾を含めなかった決めの三弾は敵機の回避運動の結果の先にある軌道をとっていた。 敵パイロットが決めの三弾の接近に気づいた頃には回避運動をとるには手遅れで、それは敵機の脚部を捉えると炸裂した。 小さな爆発が起こり、片足を失う。損傷部では電装系がショートを起こしてバチバチと白い火花をとばし、まるで血のように茶褐色のオイルが漏れ出しているが、それをエイジらが視認することはできない。 片足のバーニアを失ったことでバランスを崩した敵機が左に流れていくのを見て、エイジはあとをユンファに任せることにした。 この戦闘の間に大きく回りこんでいたもう一機がレオンと交戦しているのでそちらの援護に行くためである。 「えい!」 と、気合を込めてユンファはトリガーにかけた指に力を込めた。予測射撃をせずに、フルオートで敵機が流れていく動きに追従して銃口を動かすのは、自分の予測射撃にいまいち自信を持てていないからである。 どうにかユンファの射撃が敵ダルトスの動力部を直撃すると、機影は赤黒い爆発に飲み込まれ、宇宙の暗闇に溶けて消えた。 そのとき彼女は、爆発に飲み込まれて消えていく敵パイロットの死に際の悲痛な叫びを聞いた気がした、が、当然それは気のせいであり、彼女のナイーブな部分が聞かせたものに過ぎなかった。 その叫びに囚われてユンファの動きがとまった。 偶然かはたまた必然か、エイジは振りかってユンファを見ると動きがとまっているのがわかる。即座に敵を捜すが見当たらず、彼女が撃墜したとわかる。 そうなると止まっている理由が彼にはわからない。あの戦況で敵機からの反撃を受けたとも思えないからだ。彼女のナイーブな部分が死に囚われているなどという妄想がわかるわけもなかった。 レオンのほうも気掛かりだから、機体をユンファのそばまで寄せるのは気がひける。そのため、通信で呼びかけるだけにした。 「ユンファ!」 彼女への配慮を込めた声がとぶ。それを聞いて死者の心に引っ張られそうになっていたユンファの意識が覚醒する。 彼女はハッとしてコックピットの左右を見やってから、慌てて返事を返した。上ずった声が返ってきたのを聞いてエイジは苦笑しつつ、賞賛の言葉を送る。 「よくやった。これでお前もエースだな。異常がないなら援護にまわれ」 矢継ぎ早に繰り出された言葉はぶっきらぼうに感じたが、その時のユンファには思いもよらない言葉であって素直に受け取ることができた。 五機撃墜という高揚感が湧きでてくるのは、彼の言葉でそのことに気づいたからだが、それに浸っている余裕は今はない。 レオンが苦戦を強いられているのだから。 ようやくユンファの機体は重い腰をあげてバーニアノズルに火が点いた。 「テレパスかよぉ」 そうレオンが叫びたくなるのも無理ないことだ。敵のパイロットはまるで彼の心を読んでいるかのようにぴったりと彼の軌跡を追従してくる。 だからといって敵パイロットがエスパーなのかと言えばそれは当然、違うと言える。テレパスとか未来予知だとかそういった類の超常現象を使ってレオンのケツを追い回しているわけでは決してない。突出するという驕りに見合った実力をこちらのパイロットは持っているということだ。 簡単に追いすがられてしまうのは敵がエースクラスであり、レオンが新米だからである。新米ゆえに経験が浅く、これだと確信の持てるものがないために回避運動をはじめとしたもろもろの動きに独自性がなく、教科書をそっくりそのまま真似た動きになってしまう。 教科書が悪いとは言わない。それは効率的で理にかなっていて、なおかつ凡庸性があり誰にでも扱うことができるからだ。そういう動きを編み出して、研究してきた先人は誉められてしかるべきである。 しかし、現代では教科書に載っていることは相手も知っていると考えるべきだ。そして知っていることを看破するのは容易い。 だから熟練者ほどパターンにはない自分の呼吸に合わせた動きがでてくる。それを持っていないレオンの動きは敵には透けてみえているというわけだ。 「うわぁああぁああ」 レオンのやぶれかぶれの斉射は当たるわけもなく、敵機はそれを気にとめることなく左舷に回りこんだ。 レオンのコックピットスクリーンいっぱいにダルトスのまるで人のような顔が浮かぶ上がり、それは無機質な兵器の頭よりも恐怖を持たせる。 迫ってきた敵機が眼前でライフルを構えて、銃口を突きつけられるさまなど恐怖以外のなにものでもなく、レオンはおむつの中を濡らした。 「ここまでか」と操縦桿を放して、コックピット上部のモニタに広がる黒い世界を仰ぎみた。 その次の瞬間、レオンは振動に襲われるがそれは攻撃を受けたからではなく、敵機がぶつかってきたからであった。 敵パイロットは対面の若い(これは彼の予測だ)パイロットの凡庸な動きに油断して背後の警戒を怠っていたために、その無防備な背中にドウム7の重たい蹴りを食らったのだ。 蹴られた背中は反り返り、復帰にもたつくのも人間とほぼ同じ構造をしているために反りという動きに弱いからだ。 その隙はレオンに戦意取り戻させ、ライフルの弾をめちゃめちゃに撃ち込むにはじゅうぶんな時間だった。 めちゃくちゃな撃ち込みはこの近距離であるから初撃以降は無駄であるのだが、それでも撃ち続けたのは彼の恐怖心がそうさせたのだった。 その恐怖からでた行動は退避を遅らせることになり、レオン機の前面装甲は爆発に巻き込まれてすっかり焼け溶けてしまった。そのさまはまるで焼け爛れた人の皮膚のようでおぞましかった。 「無事なんですか?」 追いついてきたユンファがそう声をかけるのも無理がないほどレオンの機体は損傷していた。が、その損傷は爆発の余波に巻き込まれたせいであるから、エイジはため息をつくほかない。 「帰ったら覚悟しておけよ」 「っんでだよ! 俺が墜としたんだろうが!」 「そういうこと言ってんじゃないだろう」 「偉そうにしやがって、どうせ俺が活躍するのが気にくわないんだろう! 差別なんだろう、そうやって」 いまきたばかりで状況がわからないユンファはこれ以上言い争いが激しくなるのを嫌ってもう一度声をかけた。 「大丈夫なんですね! レオン」 張り詰めたような大きな声を急にだすので二人は驚いて口をつぐんだ。それからややあってレオンが応える。 「よっゆー」 そんなことは微塵もなかったくせをしてそういう言葉がでるのか、と思わずエイジは笑ったのだった。