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第一話

 真っ黒な星屑の海を三機のドールマシンがバーニアの残光を曳いて泳いでいく。
 ユンファは足元に浮かぶ淡く輝く青い星を見つめて、ため息をこぼした。この宙域を飛ぶたびに足元を照らす惑星がある。手が届きそうなほどの近さにあるというのに、ユンファはまだ一度も地球に降りたことがなかった。
 地球に降りたことがないというのは何も彼女に限った話ではない。宇宙コロニーでほぼ完全に生産ができるようになってからは生まれも育ちもコロニーというのが増えた。
 そうだからこそ強く、より強く地球という身近な未知に惹かれる。
 魅入られたようにユンファの機体は徐々に高度を下げていく。地球から真っ白な無数の手が伸びてきて、彼女を絡めとっていくようにみえる。
 一番機のシンドウ・エイジはコックピット一面に張り巡らされたスクリーンの中を落ちていく二番機をしばらく眺めていたが、とうとうため息をついた。
 地球に見惚れるという緊張感のない行爲ができるのはなにも若いというだけが理由ではないだろう。
 エイジは彼らの命に対する緊張感のなさが好きにはなれなかった。
 ユンファに通信が入る。
「二番機。引っ張られるぞ」
 そう怒鳴り声をあげたのは当然エイジであった。とたんにぼうと揺らいでいたユンファの意識は引き戻された。あわてて返事をするとスピーカーから三番機のトニー・レオンの笑い声が聞こえてきた。
 ユンファはしまったな、と思いながらヘルメット越しに頭を軽く小突いた。
 宇宙を飛ぶ者たちを魅了して離さない地球。その青い輝きには惚れ薬でも混じっているのではないだろうか。航宙中に引力に引っ張られる、という事故は少ないものではないのだから。

 航宙訓練を終えて、三機がコロニー・ポーラのベイに戻ってきた。
 機体から降りるとユンファはパイロットスーツのジッパーを勢いよくおろした。ヘルメットを外すよりも早くそれをしたのは胸が苦しかったからだ。機密性を保つために体に密着させる構造ということはわからないことではないが、彼女のボディーラインにはいささか窮屈な代物だった。
 服飾課のほうに苦情をだしたのが数日前。新調するのに一週間はかかるとかで、まだこのスーツを着ていなければならなかった。ポーラの服飾関係を一手に担っている彼らが忙しいということがわからないユンファではないが、それとこれとは別だ。
 胸の形が崩れたら告訴してやる、とユンファは心の中に決めていた。
 ヘルメットを外すと、長く艶やかな黒髪がこぼれてくる。彼女の背中でバレッタが浮いている。
彼女もパイロットなのだから本当は短髪のほうが好ましいのだ。それは正しくないか。宇宙スーツを着る人間に長い髪は邪魔なのだから、髪は短くするべきなのだ。それが通例である。最低限、ヘルメットに髪の毛を全て収容できなくてはいけない。
大きく息を吸い込んだユンファの視界の上から下へ何かが「縦」切る。彼女はそれを無意識に目で追いかけた。一番機から降りてきたシンドウ・エイジだった。
 そういえばのんびりしている場合ではなかったことをユンファは思い出したが、逃げる暇などなく、険しい顔のエイジが彼女に迫ってくる。
 右往左往とふためく彼女の脳天に容赦なくげんこつが落とされた。
 あまりに痛くて涙がでてくる。こんなことならヘルメットを外すんじゃなかったなどと少し的のはずれたことがユンファの脳裏に浮かんだ。
「何をしていた」
 エイジの怒気のこもった声に萎縮したユンファは視線を泳がせながら、頭をかいた。ごにょごにょと相手に聞こえない程の声で言い訳を口にする。
 エイジは強く彼女を睨みつけた。ユンファは一歩、二歩と後ずさる。
 ユンファはなかば吐き捨てるように「地球にみとれてたんです」と言うと、エイジの硬い拳がユンファの左頬を殴りつけた。
 殴られることはわかっていた。自分が悪いのだ。地球に引っ張られるなど一番やってはいけないことだ。まして非戦闘時ならなおさらだ。事故の数が少なくないからこそ だ。
覚悟をして体に力を込めていたとはいえ、ベイは無重力帯であった。靴裏のマグネットは無常にも床を離れ、殴られたベクトルと同方向に彼女の体は流れていった。
 エイジはそのまま何も言わずに去っていった。
 ユンファは痛む頬を手で押さえながら、自分の愚かさとエイジへの不満を小さな声で口にしてみた。せめて平手にしてほしかった。少し気持ちが軽くなった ような気がした。
 エイジに嫌われているのではないか、という感情がユンファのなかで起こる。が、それは怒るという行為をするのだから違うのではないかと打ち消した。
 ベイの中で別の機体の整備をしている人間が流れているユンファを一瞥しては、瞬間とめた手をまた動かし始める。
 壁際まで流れつくと、器用に体を縦回転させ、壁を蹴る。ユンファが自機の足元まで戻ってくると、軽薄そうな顔をさらににやつかせたレオンが待ち構えていた。
 彼の手を借りて床に対して九〇度に立つ。
「なに?」
 目だけレオンにむけて訊く。レオンは肩をすくめて「べっつにー」と笑う。
 人の失態をおかしそうにしているレオンにユンファは少しむっときて、レオンの胸のあたりを押す。油断していた彼の体が後方に流されていくのを見てくすりと笑うと、床を蹴ってコロニーの中へ入っていった。

 ユンファがベイとシティを繋ぐ廊下を泳いでいると、後ろからレオンが追いついてきた。
「だいたいさあ、大尉は偉そうなんだよな。よわっちいくせにさあ」
 前のシーズンの撃墜数でエイジの上をいったことレオンはいつも話の種にしていた。レオンはエイジのことをまるで尊敬していない。戦歴こそ長いものの、パッとした戦果がないことは新しいのからみれば偉そうなことだけ言う老害のように感じられた。
「きみだって三機でしょう」
 レオンのほうに顔をむけずにユンファが言った。
「んだよお、自分が四機だったからって偉そうにすんなよ」
「していません」
 不満のこもった声で短く答えた。
 通路の端までくると二人は足を床につけた。浮いたままで入ろうものなら体を地面にぶつけて痛い思いをするはめになる。シティは有重力帯だからだ。
 レオンは少し顔を上に向ける。コロニーの空に浮かぶ大型モニタにはSCN――スペースチャンネルニュースが映し出されていた。
 奇抜な色に奇抜な髪型のキャスターが異様に陽気な元気な声でニュースを紹介している。
『やってくれたぞ! コロニー・アトランティカのリーリャがポイント一二〇で単独首位に躍り出たあ。撃墜数では『黒い悪魔』が一八とリードしているがあっ!! 彼女が今日、墜としたのは『宇宙(そら)の武蔵』だ――』
 キャスターの横に図がでている。ユンファたちが飛んでいた宙域とは逆の宙域で戦闘があったようだった。
ユンファたちが所属するポーラ。それと敵対するアトランティカの女エース、リディアの戦果を讃えたニュースだった。
 エースに届かない数のレオンはそれを感心しながら聞いていた。いつか自分もと意気込むあたりは男の子なのだ。
 ニュースに夢中になっているレオンを無視してユンファは歩き出す。ふと顔をおろすと横にいたはずのユンファがいない。レオンは慌ててあたりを見回して、走りだした。
「ちょっ、待てよ。聞いたかよ。武蔵墜ちたってよ! やばいんじゃあないの? ねえ? ねえ、聞いてる?」
 ポーラの状況は劣勢としか言いようがなかった。エース級を次々と墜とされ戦力を失う。アトランティカは逆に墜とした経験で地力をつけてくる。ニュースにでていたリディアだってついこの前までは名もないパイロットだった。
 ユンファは大きく息を吐く。立ち止まり、レオンを振り向く。
 ユンファの少し怒った顔を見て、レオンは軽く体を仰け反らせる、が別にひるんだわけではない。むしろ逆で、過剰な動きで小ばかにしていた。少なくともユンファにはそう思えた。
 レオンがそういう態度をとるものだから彼女はますます怒ってしまう。
「んだよお。少し怒られたくらいでナーバスになんなよなあ。おんなじ女でもこうも違うかねえ」
 と、今ニュースにでていたリディアを引き合いにだす。
 確かにユンファは線が細いというのか、簡単に落ち込んだりする。落ち込むのは構わないが、それを引っ張るのはパイロットとしてはどうか、と、そういうことをレオンは言いたいのだろうが、言い方が彼女の神経を逆撫でる。
 おちゃらけた態度も、わざとそうして励ましているのか、単純に馬鹿にしているだけなのか判別がしにくく、気分が落ち込んでいるときに聞かされれば悪いほうに受け取ってしまう。
「ついてこないでください!」
 はっきりとした声でそう言うと、肩を怒らせて歩いていった。
「失敗したかなあ」
 レオンは軽くため息をついた。彼だって悪いヤツではないのだ。多分。うまいやり方を知らないだけ。おちゃらけるしかできないだけだった。
 もう一度、今度は大きくため息をついた。 
 

sage
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