第五話
2 地下へ降りると石造りのひんやりとした空間が広がっている。地下スペースのおよそ半分を占めるドグとグラの研究所だ。 科学者を自称するわりにはこの地下室の怪しさといったらない。 天井からさげられるほのかに青い光で室内を照らす照明とは別に吊り下げられた「腕」や「足」。かつては人間か、魔物か、体の一部であっただろうそれらは時おり生きているかのように蠢いていた。 壁沿いにズラと並んだ棚には気味の悪い色をした液体の瓶詰めが並べられ、絶えず底から泡立っている。銀でできた皿の上にのせられた蛇の巻きついたされこうべの空っぽの眼窩が怪しく光っている。 とうてい科学を研究する場所には思えないが、これがこの時代のスタンダードである。むしろ人間たちのそれはここよりも数段劣っているといえる。 ドグらは氷塊を作業台の上に乗せるとまた中の男の観察をし始めた。 「ああ」 嘆息をもらす。 見れば見るほどいい体なだけにこれを自由にできないというのは実に残念だった。 いっそのこと死を覚悟して好き勝手にやってしまいたいとさえ思い始めていたドグをグラが牽制する。 「変なこと考えてんじゃあないでしょうねえ、ジジイ」 「だまれ、小娘。滅多に手に入る素体ではないことくらいわからんのか」 言われてグラは黙り込んだ。それはよくよくわかっていることだ。彼女とてこの氷中の男を好きにいじくりまわしたい、という気持ちがないわけではない。 しかしミラーカへの兼ね合いもある。 沈思。そして。 ジトリとグラはドグを見据え、 「……そういえば人間のパーツの在庫がなかったんだっけ」 と棒読む。 それをグラは怪訝な顔で、 「なにをいってるんだ。パーツなら冷蔵庫に閉まってあるだろう」 言いさして、ハッと気づく。 「そ、そうだったな。パーツがないんだったな。あー、困った」 「そうね。仕方ないから体の穴はウロボロスの肉で埋めましょうか」 「そうだな。仕方がないから右腕はキュクロープスのものを使おう」 などと白々しくいい合うのだった。 しょせん魔物である。 自身の快楽を優先し享楽的な一面の強い種族だ。忠実に命令を実行するようにはいかない。 そんなことはミラーカもわかっている。彼女自身がそうだから。 それがわかっていてああ命令したのはドグたちのいきすぎた改造をとめるためだ。原型をとどめぬほどにされたのではたまったものではないから。 現に彼らの判断は命令と欲望の中点あたりに落ち着いた。 さて、そうとなればやる気も湧いてくるというもの。ふたりはさっそく準備をすませて作業に取り掛かったわけだが、 「信じられん」 唖然としてドグは知らないうちにつぶやいていた。 ウロボロス。魔界の森の中でもひときわ大きな大樹に体を巻きつけてなおあまりある巨大な大蛇とでもいうべき風貌の魔人である。再生と輪廻を司り、その血肉を取り込めば不老長寿を得られるとも言われている。 傷ついた男の体を直すのにこれ以上のものはないだろう。 ウロボロスの肉を加工したものを男の体にあいた穴に塗りこめていったまではいい。 時間が経てば本来の彼の肉体と溶け合って傷口との境目がわからなくなるまでに馴染むだろう。 それはいい。それはいいのだ。なんら変哲のないいつもの作業だ。 大小無数の穴を塞げば次は欠損した右腕に新しいものをとりつけるわけだが。 さっき言ったとおりキュクロープスから切り取った右腕を用意した。剛力無双、一つ目の魔物。数が多いので貴重とは言えないがその膂力は想像を絶する。 男の体とうまくマッチすればそうとうの力をひきだせるだろう、と思われた。 が、しかし。 男の肩口へ縫合した途端の事だった。 キュクロープスの腕が蒼い炎に包まれ一瞬で灰になった。 それが、 「信じられぬ」 のである。 拒絶反応というものはある。相性の悪い素体同士を組み合わせると起こる現象だ。しかしそれは片方がもう片方にしだいに食われていくとでもいうように腐ってしまうことだ。それも縫合してすぐなどということはない。 燃え尽きる、ということも稀になくはないが「人間」ではドグ、グラの知る限り初めてのことだった。 「ええい! どうなっているのだ!」 「私に言ったってわかんないわよ!」 怒鳴るドグ。怒鳴り返すグラ。 「もう一本もってこい!」 「命令しないで!」 ドグとグラは孫子ほど歳が離れているし、互いに互いが好きではない。私的なことになればいつもいがみ合っている。 だが、科学、錬金術においてだけはお互いに、 「自分の次の実力者はこいつだ」 と認めている。 死体をゾンビのように再び動かす術を生み出したのがドグなら、それをより精巧なものに昇華したのはグラだ。 単純な戦闘力では底辺に位置する彼らだが、彼らの持つ知識は魔界の住人共にも一目置かれ、頭ひとつ抜けている。 天才。その自負もある。 それだけに原因のわからない失敗は彼らをいらだたせる。 「本当に人間か? いや、この臭いは人のもの……ならなぜだ。いっそのこと魔物用の術式を使ってみるか……」 「相性の問題? 別の素材を使って……人間のものを……そう! 人間のもの。ミラーカ様を元の通りにしろとおっしゃったわ。いつもみたいに好きにさせないで。つまりこうなることがわかっていたのではなくて」 が、だめ。 人間の右腕も取り付けた瞬間に灰になった。 「ぐぬぬ」 二度、三度。試行錯誤。灰の山が増えるだけであった。 * バンと扉が開けられた。乱暴に。ぞんざいに。 ドグもグラも苛立ちは限界に達していた。 そのために主の私室へノックもなしに乗り込んだのだ。 「騒々しいな」 天蓋からカーテンのおろされたベッドの中からミラーカの声がふたりをぶつ、とばかりの厳しい声が飛んだ。 「う」 と一瞬、尻込みをする。 が、 「どういうことですか! あれは」 「姫さまの持ってきたあの男はなんなのだ」 側付の侍女がカーテンをあけた。 ミラーカは本を読んでいたらしく、閉じたそれを膝の上においたところだった。 「何のようだ?」 「だから」 ドグは起こったことをありのままに説明した。 すべてを聞いたミラーカはポツリと、 「燃えない腕を使えばいいではないか」 「それができれば!」 カッと目を見開いてドグが噛み付く。そうはしないもののグラも同じ思いだ。原因もわからぬところに燃えない腕を使えばいいなどと言われればこうなる。 「そうではない。お前たちにわからんことがわかるとは思っていないよ」 「は?」 ミラーカの言いたいところがわからずにふたりは首をかしげた。 「燃えない腕、というのは燃える原因を排除した適合する腕というわけじゃあなく文字通り燃えない腕、だ」 「は?」 「わからないか?」 「………」 ふたりは黙っている。沈黙が答えだ。 「頭がいいというのも面倒くさいものだな」 ため息をついた。 「焔魔一族。全身を焔に包まれ、それでいて体の崩れることのない彼奴らならあるいはうまくいくのではないか、と思っただけだ」 素人の浅知恵だがな、と言って笑った。 しかし、光明得たり、と、 「そうか。いや、姫さま。それはいけるやも」 大いにはしゃいだ。 が、ハッと気がつく。 「在庫がない」 のだ。 これは白々しい言い訳ではなく事実だ。 すると、 「私がとってこよう」 ミラーカが言うのだ。 これにはふたりも驚いた。 ものぐさで自分の好きなことをしかやらず気に入らないことは頑として受け付けない彼女が自分からこう言い出すということはそれだけこの人間の男に入れ込んでいるということだ。 しかも言うなり侍女に着替えの準備をさせて、 「うまくいかないかもしれないからな。他の手立ても考えておけ」 と言い残して館を出ていくのだった。