第五話
3 焔魔一族といっても単一の種族ではない。炎をその身に宿す悪魔どもをさして言う。が、単純に焔魔一族と言った場合、一族を治める人身焔纏の魔物をさすことが多い。 文字通り彼らは人の姿に炎を纏った焔人とでも言うべき魔物である。 もっとも特筆すべきは炎を身に纏い、それでいて体が焼けることがない、ということだ。体のすべてを炎だけで構成する魔物は例外として、生の肉体を持つ悪魔どもは例え自在に焔を操ろうともその身を灼かれることがある。 一見、当たり前のように思うかもしれない特徴だが耐性はあっても無効というものは意外に少ない。 その炎に焼かれることのない体を使えば、あるいはミラーカの連れ帰った氷塊の男の身に起こる原因不明の蒼い炎に耐えうるかもしれない。 当然のことだが腕が一本必要なのだから、彼らの元を尋ねて、 「だれか腕の一本、切り落とさせてくんなまし」 と言ったところで「はい、そうですか」とはいかない。 あるいは再生能力のある魔物なら快く、と思うかもしれないがミラーカ一味と焔魔一族の関係を考えればそうはいかない。 両者の仲は悪い。最悪といっていいかもしれない。 現在、根城とする南の館とその周辺一帯を領地として治めるのはミラーカだが、それは母親のカーミラから譲り受けたものだ。 この領地は母親の代に焔魔一族の頭領・アグニと争ったすえに手にしたものである。 氷を操り氷艶と謳われたカーミラと熱鬼《ネッキ》の異名をとったアグニ、氷と炎の相反するふたりだけに闘いは、 「壮絶を極めた」 らしい。 それから。 カーミラの後釜を決めるにあたって、 (今度こそ) という想いが少なからず焔魔一族にはあっただろう。特に頭領の息子、若頭のターンの想いは格別であった。 しかし述べた通り、現在、南の館周辺領地を治めるのはミラーカだ。 今度は闘いすらなかった。その前に上から沙汰がおりてミラーカに決まったのである。 ターンはそれが納得いかない。自分はもちろんのこと親父がミラーカに劣るところなどは容姿がせいぜいで、男の世界には関係の無いことである。 だからミラーカが南の館周辺を領有するようになってからのターンは、 「淫売の女狐め」 と罵りもするし、なにかにつけては、いや、つけずとも嫌がらせをするのだ。 が、ミラーカはさほどターンのちょっかいを気にかけていないし、焔魔一族が自分の領地を切り取って我が物顔で治めていることもそれでよしとしている。 それはミラーカ一味に焔魔一族とやりあうだけの力がないからではなく、単に焔魔一族に興味がないから放っておいているに過ぎない。 しかし今回は私利私欲という事情があるし、そのついでに調子に乗っているターンにお灸を据えてやろう、と考えているミラーカであった。 つまり焔魔一族が頭領アグニの息子、若頭のターンの右腕をもらう気でいるのだ。 * 館から北上してしばらく、山がある。火山だ。活きている。よく「石塊」の弾丸を吹き出し、溶岩を垂れ流すものだから周囲に草木の緑はない。 その火山一帯を縄張りとして焔魔一族が住み着いている。 ミラーカは樹海の途切れる森の端までやってくると地面に降り立った。 ちなみに髪はアップでまとめ東方由来の簪などという髪飾りで留めている。侍女の用意した両側に深いスリットの入ったボディコンシャスなワンピースを着、凝脂のような艶々とした太腿があらわになっている。また真紅のドレスに金髪がよく映えて、館を出るときにはランがうっとりと息をもらしたものだった。 話がそれた。 さて。 目を軽くつむり、小さく深呼吸をした。 気を高めている、とでも言えばいいのかわずかに「空気の揺れる」ような気配が漂いはじめた。 静寂。 ドレスの裾が軽くはためきだした。 鳥が枝から飛び立った。 転瞬、カッと目を見開くと金眼が怪しく光った。と、思えば四方に冷気が疾った。 ミラーカを中心に四方へ向かって伸びていく冷気は地を、草を、樹を凍らせる。飛び立った鳥すら凍って、地に墜ち砕けた。 瞬きもする間もないうちに見渡す限りの一面が銀氷の世界へと豹変した。させてのけた。 「ふう」 一息つこうとしたそのときであった。 轟々と燃えさかる火炎噴射の極大な一条が今、染めたばかりの白銀の世界を溶かしながらミラーカへ襲いかかってくるではないか。 しかし、ひどく落ち着いて眼前へと迫るそれをひらりと半身でかわした。まったくの予想通りである、とでも言いたげに口元には微かな嘲笑が浮かんでいる。 と、過ぎゆく火炎の尾の中からなにかが飛び出してきた。 「なに!?」 ターンである。 目をひく火炎噴射を囮に、その中へ身を潜め、まんまとミラーカが内懐へ飛び込んだのだ。全身を炎に覆われたターンだからできる芸当であった。 これには彼女も目を見張った。 ターンの拳が突き上げられて顎へ向かって一直線に飛んでくる。身をのけぞらせかわしざまに後転跳びで退いた。 ターンはそれをうかつに追うような真似をしない。 「よお、ミラーカさんよお。人のシマにやってきてこのざまは一体全体どういうつもりだ? ええ!」 それを鼻で笑って、ミラーカ。 「誰のお目こぼしでいい気になっていられていると思っているんだ? 小坊主」 「調子にのるなよ、ババア。お得意の色仕掛けでだれを手篭めにしたのかなんて知らねえし、知りたくもねえ! けどなあ、力こそすべての魔界でそんな邪道がいつまでも通用すると思うなよ。特に魔界一の武闘派・焔魔一族相手にはなあ!」 「カッ。魔界一の武闘派はおしゃべりのほうが得意なようだな」 あざけってみせると若いターンは満面に血をのぼせて、 「てめえ!」 と怒鳴り散らす。 「まだ口が先かえ」 嘲弄もいよいよわざとらしさを極める。 ミラーカの周囲の宙空にパキパキと氷柱が起こった。腕を振るえば氷柱どもは空を疾ってターンへめがけて飛んで行く。 一方、ターンの燃えさかる両の掌からは火球が生まれ、それを投げつければ氷柱は一瞬で蒸発してしまった。 「氷が炎に勝てるかよう!」 「チッ」 と舌打ちをしてミラーカは地面を踏み鳴らす。 すると氷が地面を凍らせてターンへ疾っていく。足を捕らえて動きを封じようというのだ。 「食らうかよう!」 スゥッと息を吸い込み、いっぱいに膨れ上がった口腔から吐き出された空気が火炎に転じ、その噴射がやはりミラーカの氷撃を溶かしてしまった。 やはり相性が悪い。ミラーカ得意の氷術も烈火の前に形無しである。 それで勢いに乗ったターンは一転攻勢。幾重の火球を弾幕に突っ込んでいく。 ミラーカは氷弾で迎え撃ちながらも後退する。 しかし森の端に降りたのがわざわいする。抜けきった空き地ならばこうはならなかっただろう。 前方に気を取られ、後退する先を誤った。背中を木にとられこれ以上の後退ができない。 そこへターンが飛び込んで来、火拳炎掌の連撃がミラーカを襲う。 「オラオラオラ!」 身動きのままならない地形ながら猛攻を紙一重でかわし続けるミラーカが不意に笑った。惨忍さの滲み出る笑みだ。 ターンは思わずその動きを鈍らせた。呑まれた、と言ってよい。 「あまり調子にのるなよ、小僧」 ミラーカは腕を振り上げ宙を指さす。 「!?」 そこには直径数キロはあろうかという巨大氷塊。それが頭上数メートルほどのところに浮かんでいる。 ターンは攻撃に夢中になりそれに気づかなかった。いや、気づかせないためにあえて窮地にたたされた、という体を演出したミラーカの策に嵌ったのだ。 ターンはにわかに慌てふためく。 これまでの氷弾とは規模が違う。違いすぎる。 今までは一瞬で溶かし、蒸発させられたが、これほどの大きさになると全てを一瞬のうちに消し去ることは難しい。距離があれば話は別だがこの至近距離では無理だ、といえる。 溶かしても、蒸発させられなければ水が残る。 その水が天敵である。 水をかぶり体の炎が消えたからといってそれですぐさま死ぬということはないが、普通の体の魔物で言えば全身に大怪我を負うようなものである。 「さっきまでの威勢はどうした? 得意の炎で溶かせばいいだろう?」 無理と知って言うのだ。 呵々と笑い、 「フォールダウン。押し潰せ」 あげた腕を振り下ろすのにあわせて天を覆い隠すような氷塊が落下してくる。 ターンには逃げるほか選択の余地はない。 飛び退る。 が、それを見越したミラーカの先回りの前に為す術はない。 蹴撃一閃。 ミラーカの上段蹴りがこめかみをとらえて一撃のもとに蹴り倒した。 倒れ伏すターンの鼻っ面を足で押しつぶすように踏みつける。 「カッ。気分はどうだ。敗北の気分は」 「ぐ、う」 ターンが鋭く睨み返すのへ、 「あまり見上げるなよ。それともドレスの中が見たいのか」 と冗談を飛ばして呵々と笑う。 「うう」 負けたターンは唸るほかない。 ミラーカは笑うのをはたとやめ、 「さて、どうしてくれよう」 無論、やることは決まっているのだが、ターンの悔しそうな表情を見るのが楽しくてたまらないのだ。 しかも、 「今回はアグニ殿の顔に免じて貴様の右腕一本で勘弁してやろう。命までとらぬのを感謝するがいい」 などという。 ミラーカがターンの肩口のラインにそって右手をスッと動かすと、触れてもいないのにスパリと切り落とされた。これにはターンもなにをされたのかわからない。 弱いながらもまだ炎に包まれたそれを拾い上げると、 「いきがるなら相応の実力をつけてからにするんだな」 と、言い残してその場をあとにするのだった。