第五話
1 トットの町から大陸をさらに西へ。広漠たる荒野を越えるととつぜん森が現れる。それは人間界のものとは性質の異なる暗澹とした森だ。 草木はうっそうと生い茂り、茨ツタが地面を覆い隠すように密生している。太陽の光が森の中へ届くことはない。昼も夜もなく物怪の哮る声が聞こえてくる。 それらの怪しげな動植物は病をもたらす瘴気をはなつと言われている。人間たちはそこを魔の森と呼び恐れ近づこうとは決してしない。 人間にとっては未開の秘境であり、その先の正確な地図はない。 そのためにこの魔の森が長い間、人間と魔族の住処を隔てる境界にとなっていた。 森の入り口から南西へ数十キロほどいくと拓けた土地がある。 土地のまん中には古めかしい館が建っている。城とよんでもいいほどの荘厳さであった。また外観は白で統一され、魔の森のまっただ中とは思えぬ清澄な雰囲気をしていた。 広い前庭には噴水があり、天使だろうか、背中から小さな羽の生えた人の像があしらわれている。彼の持つ瓶から水がとめどなく流れでている。 噴水の周囲をバラ棚が囲み、黒紅色の薔薇の花が彩っている。 噴水の湖面は瓶から落ちる水の勢いに一定の間隔で揺らいでいる。 と、不意に湖面の揺らぎが乱れた。風がおこり波間を引き裂くようにより大きな波ができる。湖面に黒い影が落ちた。 影は次第に大きくなり、形をはっきりとあらわにする。 降下してきたのはこの館の主人・ミラーカだった。足もとから吹きあげる風が彼女の美しい長髪をわずかにたなびかせていた。 ミラーカのかたわらには大きさにしておよそ三メートルの氷塊が上下に揺れ動きながら漂っている。 なめらかに重さを感じさせない所作で噴水のへりに降り立つと乱れた髪をかき上げた。 その横顔がなんとも言えぬ色香をはなっていたのだが見た者はいない。 大理石の玄関ポーチを進めば、巨大といえる木製の門扉が構えている。ドアノブにはなにやら気味の悪い顔が鋳造されていた。 館の中はしんと静まり返っており、どうやらミラーカの帰宅に気づいたものはいないようだ。 多少の憤りを覚えつつ、ドアノブへ手を伸ばした。 と、掴む前にむこうからゆっくりと扉が開いていく。 扉の向こうからメイドが顔をだした。走ってきたようでわずかに肩が上下している。しかし、顔には能面が張り付いてでもいるようにピクリとも動かない。 足もとまである裾の長い濃紺のワンピースに装飾のないエプロンを着ている。ワンピースは肩口が膨らみを持ち、そこから先の袖口まではシュッと腕のラインに沿った作りだ。 黒々としたショートボブの黒髪とは対照的に白い、むしろ青いといえるほどの生気のない顔に紅い目がのっているのが印象的だった。 「メアリか。出迎えごくろう」 「おかえりなさいませ、ミラーカ様」 抑揚のない平坦な声だ。表情もないままだった。 ミラーカは苦笑して、 「もう少しどうにかならないのか。笑うとか」 「おっしゃる意味がわかりかねます。もう一度おっしゃってください」 わずかに首を傾げてメアリは言う。 「いや、いい」 肩をすくめて答えるわりにミラーカはどこか楽しげにみえた。 それから声音を変え、命令する響気を持たせ、 「博士をよんできてくれ」 と言った。 応えるメアリは一瞬、ミラーカの脇に浮かぶ氷塊へ視線を流した。それに気づいたミラーカが、 「ん? どうかしたか」 訊くとメアリはミラーカの顔をじっと見た。 しかし何も言わずに深く会釈するとミラーカの前をさがり地下室へ降りていった。 エントランスホールは広く、上階まで吹き抜けであるため開放感のある作りになっている。 正面には大階段があり、中二階ほどの高さで踊り場が広く設けられている。そこから左右に枝分かれして二階にあがるわけだが、その前にそこで足を止め少し視線を上げる。 視線の先の壁面には大きな絵画がかけられている。 そこに描かれている人物はミラーカのように思える。が、彼女ではなく彼女の母親・カーミラであった。瓜二つといっていいほどよく似ている。違っているところを探すほうが難しいというほどだ。 今はもう亡くなっているが、ここ南の館の先代の主人でもあり、彼女の氷雪系魔術を賞嘆し、また畏怖を込めて「氷精」とか「氷艶」とか呼ばれていた。 それはさておきホールの奥からふたりの魔物がやってきた。どうにも奇妙な二人組だった。 ひとりは男で柳のように細く背が高い。人間で言うところの七十前後に見えるが実際は倍では足りない。日照りの大地がひび割れたような深いシワが顔をはしっている。また、それとは別に頭頂から胸元まで「縫い目」のようなものがはしっていた。胸元までと言ったが、白衣に隠れてみえないだけでそれは股下まで続いている。 右目が異様に大きく面相は奇怪といってよい。 対照的にもうひとりは異様に背が低い。 しかも、ただ低いという風ではなく、 「潰れたような」 風貌であった。 おそらく元は相当の美人であったろうことが目鼻の形から見受けられた。 男のほうがドグ。女のほうがグラという。 ドグは先代から、グラは当代から仕えている通常の理から外れた異法を使う錬金術師である。もっとも両人は科学者を自称しているが。 「用事なら後にしてもらいたいな。ワシは今いそがしいのだ」 やってくるなりドグはずいぶんと横柄な態度である。これも先代から仕えているからできることだ。なにせミラーカが赤ん坊の頃から知っているのだから子供扱いもするし、今でも「姫さま」と呼ぶものだ。 「年食っただけのジジイが無礼な口をきくんじゃあない!」 グラがドグに食ってかかる。その勢い凄まじく、小人のようなグラの体が大きくみえる。 「ええい! 潰れ饅頭の小娘が偉そうにワシに指図するとは何事だ」 もともとこのふたり折り合いがよくない。特にミラーカに対する態度ではいつももめている。 グラは信奉者といえるほど彼女を敬愛している。潰れたような、と言ったがそれは比喩ではなく事実だ。もともとはミラーかと同程度の身長であったし、顔のほどもミラーカにいたく気に入られるほどの美貌だった。 が、今と同じようにドグと口論をしているところを折り悪く不機嫌だったミラーカの苛々のはけ口とされ現在のような、 「潰れ饅頭」 になってしまったのだった。またドグの体の中心をはしる「縫い目」も同じである。 そんな目にあってもグラの信奉が薄まることはない。 むしろ。 「ますます」 である。 一方ドグは前述のとおり赤ん坊の頃から知っており、おしめを替えてやったこともあるくらいだから直接の孫とまではいかずとも姪孫くらいには思っている。 そのせいか口調が雑になることもしばしばで、冗語を口にすることも多かった。 眼前でキャンキャンと吠えわめくふたりに対してミラーカの顔は不快の念をありありとあらわす。 しかし、ドグもグラもそんな変化には微塵も気づかずに言い争いを続けている。 舌打ちをした。と同時に中指と親指をこすりあわせ弾くと小気味よい音が響いた。 「う」 「わぁ」 ふたりの足が床から離れ浮き上がった。いや、むしろ持ち上がったとでも言おうか。もちろん彼らを持ち上げるような「何か」はどこにもみえない。が、そう表現するのが正しいように思う。 持ち上がった、と思えばクルっととんぼ返りをしてみせる。してみせるといっても悲鳴とも呻きともつかない声が証明するように彼らの意志ではない。 しかも、ふたりに宙返りを強要していた不自然な力が回転の途中で消えてしまえば、受け身をとれるわけもなく背中をしたたかに打ち付けるはめになる。 「フフフ」 いたずらに成功した子どものように笑うミラーカ。 が、豹変。 ハイヒールのとがったかかとでドグのみぞおちをおもいきり踏みつけたのだ。 「ぐうぇぇ!」 ドグが苦痛にうめき声をあげた。やれ姪孫だ、やれ軽口だ、といっても力関係ははっきりとしている。ひとたび不興を買えばあとはもうされるがままなのは体を引き裂かれたことからみても明白だった。 酷薄な微笑を浮かべたミラーカの重く尖った声が、 「いい加減学習したらどうだ? 貴様達の戯れあいほど不快なものはない」 と言う。 しかし、みぞおちを踏みつけられていれば返事、どころか呼吸すらままならない。であればドグはどうにかこうにか身振りで懇願するほかない。 その滑稽な仕草をみてわずかに機嫌をよくしたのか足をどけた。 十分な時間があったにもかかわらず未だに床に転がっているグラへ目を向ける。視線と視線がぶつかる。 そこに怯えはなく、むしろうれしそうであり期待の色がうかがえた。 と、プイと視線をはずしたミラーカはドグを助け起こすなり本題に入っていった。 そうなるなりグラは情けない声をだす。 「そんなあ……ミラーカさまぁ」 ミラーカはほとほとあきれ果てたといった様子で、 「私の言いつけがすんだら部屋に来い。かわいがってやろう」 「約束ですよ!」 グラは嬉々として立ち上がるのだった。 さて、ミラーカの脇に浮かぶ氷塊がひとりでに前に進みでた。 「どう思う?」 と尋ねる。 ドグもグラもその氷塊の中に閉じ込められた男の姿をまじまじと観察し始めた。 「体中引き締まっていい感じだがあ、ちょいと穴が空き過ぎじゃあないか?」 ドグの言うように氷塊の中の男は無残なほど大小無数の穴があいていた。どうやらなにかに貫かれたあとらしい。が、ふたりはなにに貫かれたのかをわきまえている。 また男には右腕がない。こちらは鋭利な刃物によって斬られたかのような傷口だった。 「……ずいぶんと大きい」 と、男の体の一点を食い入る様に見つめていたグラがつぶやいた。思わずして口をついたといった様子だ。 数瞬ののち、ハッと顔をあげ、 「いえ、身長のことですよ? ミラーカ様」 と言うのでミラーカとドグは顔を見合わせてため息をついた。 なにに対して漏れたつぶやきなのかは置いておくとして、たしかに男の体躯は凄まじい物であった。二メートルはあろうかという長躯の体の隅々までしめ縄のような筋肉に彩られている。 科学者を自称する彼らにとって、 「これ以上ない」 と言える素材だ。 ミラーカの下すであろう命令に察しがついている彼らであるから、すでに内心ではこの男をどのように「いじって」やろうかと舌なめずりをしていた。 が、 「この男をもとのとおりになおして欲しい。できるな?」 と言うのでドグもランも大変驚いた。 「しかしこいつは人間ですぞ」 こうしてミラーカが人間を連れ帰ってきた時はたいていドグとグラに好きに改造をさせミラーカのおもちゃにされるのが通例となっていた。 それは普通の人間のままでは「もたない」からだ。 魔物の睦言は人間のそれに比べると激しい。壮絶、である。とてもただの人間が耐えられるものではない。 そういう用途でなくても、例えばいたぶって遊ぶにしたって人間は脆すぎる。 元に戻せということは穴を埋め、右腕を取り付けるということだが、仕様によっては多少頑丈にできようが、それでも心もとないだろう。 (どうにも解せぬ) わけだが、 「できるのか? できないのか?」 とミラーカが語気を強めて問うので、 「そりゃあワシらにかかればそんなことわけのないことだが後ですぐに壊れたとか言わないでもらいたい」 「わかっている」 とミラーカは答えたが、行動も言動も気分しだいのミラーカである。彼女を信奉しているグラもこればっかりは念を押して、 「絶対ですよ、絶対」 「ええい! いいからさっさとやれ!」 どやしつけらるのであった。