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第四話 後編

*
「茶番はもういいのか?」
 退屈そうに髪を一房ゆびに巻きつけながら女が言った。どこにでもいる女の仕草にバッツはドキリとする。
 多くの魔物は好戦的で残忍であるのに、この女は人のような仕草を見せたり、茶番とぬかしたものの子供たちを逃がすのを見逃したりと、バッツはどうにもやる気をそがれる気分だった。
「悪い奴じゃないなら戦いたくはないんだが? 特に美しいお嬢さんとは」
 すると女は酷薄な笑みを浮かべて言う。
「異な事を言う。自分になぜ腕がないのか忘れたか? この漂う死臭は?」
 トットの町の惨状。街並みは跡形もなく、火が上がっている。いくつもの死体が横たわり、肉の焼ける臭い。空気は脂を含みギトギト濁っている。
 バッツの目の前にいるのは町一つをたやすくこうもできる女なのだ。そんな女が人間にとって「いいやつ」であるわけはなく、不戦交渉などはじめから意味のないことだった。
「そりゃそうだわな」と、彼は独りごちた。弱気な心がそうさせたのか、と彼は考えた。それは女に聞こえるものではない。
 女がスッと腕を振り上げた。バッツはそれを注視し、体は万事に対応できるよう身構えた。
「ついでだ。もう一本ももらおうか」
 女は腕を振り下ろす。その所作が空気の層を裂き、かまいたちのような烈風をよぶ。
 烈風はうなり声をあげバッツに襲いかかる。
 バッツは舌打ちをし、飛び込み前転のかたちで右側に飛び退いた。彼の耳に裂傷音が響いた数瞬後には後方に存在した家屋の残骸らしき山が吹き飛んでいた。
 バッツは無意識に左手を背中に伸ばした。
「未練がましい!」
 自分で自分を罵る。いましがたかっこうつけて剣を交換したのは自分だというのに、腰にではなく、背に手が伸びる自分が情け無いのだ。
 ふっ、とバッツの足元に影が落ちた。それは次第に大きく、濃くなってくる。
「上!?」
 見上げれば上空には巨大な氷塊。雫型のそれは直径一キロはあろうかという大きさである。
 バッツは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
 足を肩幅程度にひらき、腰を低く落とす。やや背をまるめ、手は剣の柄を軽く握るようにする。
 あろうことかこの男。巨大な氷塊を突き壊そうと考えているのだった。バッツの正気の沙汰とは思えない行動に女は顔を綻ばせる。
 つま先で地面をつかむと、体の下方から順々に力を込めていくようにエネルギーを伝達させる。
「っだっしゃらああ!」
 言葉に意味はなく、気合を入れるための咆哮。
剣を振りぬき、氷塊の底を穿つ。
切っ先と氷塊が激突し、いっしゅん火花が飛んだように見えた。
それも束の間、みしみしと軋む音。
そして刀身が砕け散り、鍔と柄の虚しい鉄塊だけが残った。
「なっ」
 が、氷塊にも亀裂がはしる。幾筋もの亀裂が底から天頂部に伸び、河川の支流のように細かな亀裂は拡がり、氷塊全体を包みこむ。
ひときわ大きな亀裂音とともに、氷塊は粉々にはじけて散った。
 砕けた氷の粒は月の光を反射させきらきらと輝きながら降り注ぐ。
「ははっ」と信じられないとでも言いたげに笑うのはバッツだ。確信も確証も自負も自信もなにもあったわけではない。やらなければ氷塊に押しつぶされる。
だからやったに過ぎないが、それでできてしまった。思いの力もまんざらではなかったらしい。
 すると女のほうも声をあげて笑い出した。なにがそんなに面白いのかというほど無邪気に。
「一突きか? あれを。いや。はは。そうでなくては、そうでなくてはな」
 女はもう一度笑うと、
「面白い。面白すぎるぞ」と、ひとり言のようにつぶやいた。
 顔をあげバッツを見る。
「名前は?」
「あ?」
「名前だ。あるだろう? ないのか? 人間には」
 口調は乱暴であったが、そこには敬意があった。
 女の口ぶりは魔物にも名前があるのだ、と言っているようなもので、それはバッツを驚かせた。目の前にいる魔物は人間と対等以上の知力があるのだから、名前があってもなんらおかしくはないのだけれど、そんなことを考えたことはなかった。
 古龍にも名前があったのかもしれないな、と考えると、聞いておけばよかったと彼は思った。それが去りゆく強者への礼というものだからだ。もっとも当時の彼が思い至っていたとしても古龍に対し礼を示すようなことはなかったのだろうが。
「バッツだ。長い付き合いにはならなさそうだから呼ぶ機会はないかもしれんがな」
「それは自信か?」
「まさか」
「どうだか」と、女は言ったが、バッツは事実を告げていた。数度の攻防を終えて、十回に一回は勝てるのでは、などと考えていた自分の驕りを恥じていた。
 押されているようには見えなかった。むしろ、腕を欠いた体で互角以上に戦っているように思える。
 しかし、常人とは違う感覚でバッツはジリジリと死へ押しやられているのを感じていた。
 逼迫した状況だと捉えてはいたが、それで絶望を感じてはいなかった。むしろ体の底から沸き上がってくるなにかを楽しんでさえいるようだった。
 だから、こんな軽口もたたける。
「それでお嬢さんの名前は? 美人の名前は土産に持って行きたい」
 女は人間の考えることはわからない、と思った。自分から聞いたのだから名乗るつもりでいた。それはいい。
 ただバッツの言いようは女を口説いているようなもので、そんなことを戦いのさなかにする生き物と出会ったことはなかったから興味がわいた。
「ミラーカ。どうとでも呼んでくれ。楽しませてくれるのならな」
 緩んだ空気は消え、ふたりは激突する。その衝撃は周囲のものを弾き飛ばす。この空間に互い以外のものの存在を許さないというように。
 二人の顔には微小すら浮かんでいた。
*
 すでに町から数キロの距離を得ていたが、ふたりはまだ走っていた。ロザリーもパニッシュも息も絶え絶えであり、肉体は休息を求めていたが、精神がそれを拒否した。
 時折、爆発音のような大きな音が響き、衝撃波が彼らの背を襲っていた。
 数キロ離れた場所ですらバッツと魔物の女の戦いの激しさは伝わってくるのだった。
 そうだから足をとめることなどできなかった。
*
 戦いは三日三晩続き、四日目の朝を迎えようとしていた。東の空が白みだしている。
 彼女が考えていた以上の力を魅せるバッツを相手取りミラーカは高揚感を得ていた。手の先、足の先、体の隅々まで精気が行き渡り、溢れるような充実を感じているのだ。
 その体中を駆け巡る感覚は久しく感じていなかったものであった。
 それはバッツも同様であった。
 彼は長い間、成長の限界というものを感じていた。人間の限界と言い換えてもいい。その自身の力の限界という固く閉ざされた扉が、ミラーカとの戦いの中で開かれていくのがわかった。
 それは革新的な成長を彼にもたらし、故にミラーカと互角以上の戦いをみせていた。
 そうだからこそ、両者は楽しくてたまらず、一分一秒でも長く戦っていたかった。
 しかし、バッツはただの人間である。三日三晩の激しい戦いに肉体は限界に近づいていた。精神が充実しているだけに、それは口惜しいものであった。
 それはミラーカにはわからない事象である。闘争がすべてである魔物にすれば三日三晩程度どうというものではなく、体力の限界という概念がわからないのだ。
 だから、彼女はギアをひとつ上げるように力を開放していく。
 まだミラーカが全力でなかったという事実はバッツを驚かせ、同時に燃えさせもする。
 しかし。
 ミラーカの周囲の空気がパキパキと音をたて凍っていく。それは氷柱のような鋭く尖った氷塊をいくつも形作った。
「楽しいな」と、笑みを見せれば、相手もそれに応じる。
 ミラーカが水平にあげた腕を振り下ろす。無数の氷槍は一直線にバッツに襲いかかった。
 バッツはそれを避けようと膝をかがめるが、力が入らない。そのままバランスをくずすと、体はぐらりと揺れた。視界は空をとらえる。舌打ちした。

氷槍がバッツの体に突き刺さる。
襲い来るいくつかはたたき落としたのだが、その数は多く、言う事をきかない体でさばききれるものではなかった。
彼の体に突き刺さったいくつかは貫通して彼の体に直径数センチほどの穴をあけた。が、そこから血が流れ出ることはなかった。貫いたその瞬間から傷口が凍りはじめていたからだ。凍結はゆっくりと彼の体を侵食し、包み込もうとしていた。
言うまでもなく致命傷であり、即死でもおかしくないのだが、強靭な精神がバッツの意識を踏みとどまらせた。
膝からくずれそうになる体をどうにか支えるのは情けない姿をミラーカにみせたくはなかったからだ。なんといえばいいのか。プライドとはまたちがった感情であった。散るなら散るで強者のまま逝きたかった。
バッツは悔しさを表情ににじませた。まだ自分は強くなれるという想いが芽生えはじめたその時にこの戦いが終わってしまうのは残念でならなかった。自身の生死は問題でなかった。
同じようにミラーカも沈んだ顔をしていた。その理由はバッツとは別のものだったのかもしれないが、彼女の本意をバッツが知ることはなかった。
 凍気が戦いの熱ごと飲み込めば死すら包みこみ静寂をむかえる。
凍気と熱気とがないまぜになった空気はやがて荒野の乾いた風に押しやられ、彼らの壮絶な戦いを語り継ぐこともないだろう。
ただ今だけは人間バッツの終り告げている。
*
粉塵があがらなくなってしばらくしてロザリーたちは悩んだがトットへ向い歩き出していた。
 愚かな行為であることはわかっていた。バッツがなんのために、なにを思って自分たちを逃がしてくれたのかは理解しているつもりである二人であったが、父親がどうなったのか確かめなければ前に進めない気がした。それを言葉として理解していたわけではない。漠然とした意識があるだけであった。が、彼らを行動させるにはじゅうぶんである。
歩いている間、ふたりは何もしゃべらなかった。どのようなことでも言葉にするのが怖かった。せわしない想いがぐるぐると胸中を廻っていた。
*
パニッシュとロザリーがトットの町に着く頃、そこにはただ町であった残骸の物悲しい広がりが存在しているだけであった――。

sage
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