第三話 後編
「悪魔。悪魔と言ったんだな!?」 バッツは男の肩をつかみ、答えを急く。 男が頷けば、バッツは町の人間のほうを振り返る。 「みんな、聞け! 今すぐ逃げる準備をしろ。今朝の猿とは格の違うものかもしれない。二日も前だ。時間がないぞ」 どよめきがおこる。バッツのあわてようは大人たちの恐怖をさそった。特にサニーには強く思わせた。今朝、魔物を前にして平然としていた男がこうなるものとは想像がつかなかった。 もちろん町人たちを焦らせる演技も入っていた。そうでなければ町を離れないと言い出すものは必ずいる。自分だけは関係ないと思えてしまうのだ、人間は。 しかし、たしかにバッツの中に焦燥感はあった。 魔物の中でも高い知能をもったものを悪魔と呼ぶばあいがあり、概ね高い戦闘力をあわせ持つ。例えばバッツが倒した古龍がそうだ。 古龍一匹倒すのに多大な犠牲が払われた。あの時、バッツが生き残ったのはまわりが若い彼のために力を尽くしたためであり、運がよかったからだ。 もちろん当時より格段に強くなった。悪魔の戦闘能力は個体差がはげしいため断定はできないが万が一、古龍級であれば、それをひとりで倒せるという確信はもてなかった。 もちろん悪魔ではない可能性もある。言い方は悪いがしょせんは町の自警団だからすこし強い魔物をそう判断したのかもしれない。しかし、最悪の場合を考えるべき時だった。 バッツのかたわらにロザリーとパニッシュが寄ってきた。町の人間たちは各々の家に散っていた。 「なにしてる? お前たちも早く荷物をまとめろ」 それからサニーを呼び、 「悪いがこいつらを一緒につれていってくれ」 バッツは腰の巾着をサニーに渡す。 「金が入ってる。こいつらを養えるだけはあるし、ふたりにも持たせてある。それと馬車を用意できないか? 俺はトットに行きたい。馬一頭でもいい」 サニーは巾着をにぎりしめたままなにも答えない。ただじっとバッツの顔を見ている。 彼女は不意をついてデコピンをした。 「な……あ?」 なんだかわからない行動にバッツは言葉を継げなかった。 「なんです? 怖い顔しちゃって。約束忘れてませんか?」 「約束?」 「そうですよ。まだ抱いてもらってませんもん。帰ってくるって言えるならお二人はお預かりしましょ?」 こんな時にこういうことを言えるサニーは容姿だけじゃあなく、いい女だな、とバッツは思う。 「はは。そうだったな。こんないい女を抱かないままじゃあ死ねないもんな」 「そうですよ」 バッツの表情は和らいでいた。 「そういうことだ。ロザリー。パニッシュ。サニーの言うことをよく聞くんだぞ?」 「でも!」 ロザリーとパニッシュの声が重なる。 「心配すんな。どこにいたってすぐに見つけてやるから」 二人が言いたいのはそういうことではない。もちろんバッツもわかっている。しかし、ふたりをつれていくにはあまりに幼すぎた。 * 一時間ほど経っただろうか。 サニーが場所を用意してくれ、バッツはトットに向かおうとしていた。 「約束ですよ?」 サニーが俯き加減で言えば、バッツはニッと笑う。 「別れ際にキスでもしとくか、お嬢ちゃん。それっぽいだろ」 そういう台詞は今朝の調子を取り戻していた。 だからサニーも笑う。 「そういうのってたいてい嫌な終わり方です」 「そりゃそうだ」 バッツはあたりに視線を走らせたのに気がついてサニーが言う。 「ふたりならさっきまでそこの角のおばあちゃん家の手伝いしてたんですけど。探してきますね」 バッツは駆け出そうとするサニーを呼び止めた。 「いや、いい。時間もないしな」 バッツは御者席に乗り込むと一度だけ角の家に目をやってから、たずなをとった。 サニーはだんだんと離れていく馬車の後ろ姿を見送り、それが見えなくなる前に逃げる準備に戻っていった。 * バッツの馬車が走りだして数時間が経っていた。 トットに向かわせていたが、魔物がまだそこにいるかはわからない。 悪魔にとっては馬で三日の距離などその半分もかからないであろう。それでウェスに現れないのだから別の町に行っている可能性が高い。 トットにとどまっている可能性もあるが、それは低いように思える。人がいなくなったトットの町にとどまる理由がバッツには思い当たらないからだ。 魔物は人間の町を襲ってもバッツが戦った古龍のようにそこを占領するというのは稀である。 たいてい魔界へ帰っていく。その理由はわかっていない。巨大な森を挟んだだけであるが、人間界と魔界では空気が違って長く人間界側にはいられないんじゃないか、という学者もいるが、バッツはそうは思わなかった。が、どちらにも根拠はない。推測と勘でしかない。 「……?」 ふいに荷車から音が聞こえた気がした。荷車には水と食料しか積んでいない。それが喋ればホラーである。 「まさか」 バッツは馬車をとめ、荷台の母衣をあけた。 そこには案の定。 「パニッシュ! ロザリーまで!」 ふたりはボロ布の下に隠れ、荷台にもぐりこんでいた。出発の際いなかったのはそのためだ。 「俺の話を聞いてなかったのか!」 ふたりの体がびくっと震える。バッツが張り上げた声はあきらかに怒りのものだった。 「だって!」 「だってじゃない!」 今にも泣きそうな顔でパニッシュがいう。 「カーちゃんが死んだ時、ずっと一緒にいるっていったじゃん。ねえ!」 「約束はした。だが! さっきサニーといると約束したろう」 「お師匠さんが一人で言ってただけだもん! 俺達は約束なんかしてないっ」 たしかにパニッシュたちが納得した様子はなかったが、そういう話ではない。 しかし、今さらウェスに戻ったところで誰もいないだろう。 バッツに選択肢はなかった。 「ったく。お前ら。あとで覚えとけよ」 この時の選択をパニッシュとロザリーは後悔することになるのだが、そうする暇はなかったし、意味もなかった。すべては起きてしまった過去の出来事なのだから。