第三話 前編
「町の人間か?」とバッツが隣に座る若い娘に訊くと、女は首を横に振った。 皮製の兜と鎧を着込んだ男だ。全身傷ついている。 女たちが介抱をして、しばらくすると男は目を覚ました。弱った声で言う。 「ここは?」 「ウェスタウンだよ」 女が答えると、男は安堵の表情を見せた。 「そう……か。よかった」 「どうしたんだ?」 「逃げるんだ。いますぐに」 「おい! なにがあった?」 男は答えることなくまた気を失った。 バッツは遠巻きから様子を見ていたが、男が気絶すると酒場の外に出た。 すぐに男のものらしいひきずった足跡がみつかる。 それをたどっていけば街の外一キロほどのところで馬が死んでいた。 その馬の足跡もずっと西へ続いている。三日はかかるという隣町からやってきたのだろう。 バッツは馬が疲労死するほどとばしてきたというのはよほどのことがあったのだろうと思いつつ、男の気力に感心した。 交通手段等で常用されている馬であるが、その背にまたがるのは素人が思うより難しい。馬車のような間接的騎乗ではなく、直接、鞍にまたがるのは意外なほど体力を消耗する。まして三日の距離を走破したとなれば相当なものだ。 バッツは馬のそばにかがむと、驚くべきことに馬の亡骸を担ぎ上げた。四〇〇キロ以上あるのだから、その怪力は驚異としかいいようがない。 * バッツが街に戻ると入り口で待っていたロザリーが駆け寄ってきた。 ロザリーはバッツの姿をみて泡を食った気分になった。 「ど、ど、どうしたんです? それ。馬ですか。なんですか」 「野ざらしじゃあかわいそうだと思ってな。あとで埋めてやろうと思うから、その時は手伝ってくれ」 首をまたいで両肩に担がれた馬の太ましい脚を見れば、どうしてこんなものが担げるのかと不思議に思うのだった。 尊敬とはまた違う感情でバッツを見つめ、息をもらすロザリー。ハッと我にかえる。 「そだ。や、そうでした。男の人が目を覚ましたんですよ」 二人が酒場に戻ると男は毛布を肩に羽織り、椅子に座っていた。手には湯気の立つカップを持っている。周りを大人達が囲っており、少し離れたカウンター席に若い娘たちが固まっていた。 「どうしたんだ?」 バッツは手近な者に尋ねた。 「それが魔物がでたから早く逃げろって」 バッツは人垣をわって、男の前に出る。 「数は?」 男は首を横に振った。 「わ、わたしは壁門の守衛で。大きな音がしたと思ったら町の中心から黒煙があがって、それで、それでアントンが……アントンが!」 男は堰をきったように泣き出した。なんのことかはわからなくても、アントンという人物が男にとって大切な人間だったということはわかる。取り乱しようをみればおそらく死んだのだろう。 男の気持ちが伝播して酒場を重く沈痛な空気がつつむ。大人たちはとても何があったのか問い詰める気にはなれなかった。 が、バッツは男の胸ぐらを掴んで顔をあげさせた。 「なんのためにきた? 泣くためか? わめくためか? 慰めてもらうためか?」 バッツは男の目を強く見つめる。 「違うだろう。お前の言葉に、行動に、今、ここにいる人間の命がかかってんだ。しゃんとしろ」 非情なように思えた。だが、悲しむべきときというものがある。それは今ではない。 男の目が力を取り戻した。ぽんぽんと軽くバッツの腕をたたき、手を離すようにうながす。 バッツが手を離すと男はゆっくりと話し始めた。 男のいたトットの街はここウェスタウンよりもさらに西にいったところにある。 一週間ほど前のことだ。トットよりさらに西北西に位置する町から難民が流れこんできた。魔物がでたという。 難民は複数の町の人間で構成されていた。つまり、魔物の襲撃をうけ壊滅した町はひとつではないということだ。 難民たちがトットの街に逃げてきたのは強固な守りでかためられていたからだろう。トットは町のまわりを石壁で囲んだ砦である。 トットも堅守だという自信があるから難民が来ても、それらと一緒に東部へ逃げ出すことはしなかった。 そして二日前。 東の小門の警備にあたっていた男はとつぜん轟音を聞いた。黒煙があがり、二度目の轟音が響く。悲鳴が聞こえ、阿鼻叫喚の巷と化したことが容易に想像ついた。 中から門を叩く音がし、見れば大勢の人間が押し寄せていた。 男が門をあけると、住人たちは雪崩のように駈け出していった。事情を訊こうにも足をとめる者などひとりもいなかった。 逃げる住民を誘導し、しばらくすると人影はなくなった。中心部では黒煙があがり続けている。男の仲間たちが戦っているのだろう。 男は人影をみた。ゆっくりとそれは近づいてくる。顔の輪郭がわかる程度の距離なればアントンだとわかる。 駆け寄ってみれば、アントンの後ろには血のすじがてんてんと続いていた。 「おい! 平気か? おい!」 アントンの目はうつろで相手が誰だかわかっていなかった。 「悪魔が……逃げろ」 そう一言だけいい、こと切れた。 それからすぐに数人の兵が馬をとばした。迫り来る驚異を周辺の町に知らせるために。