第二話 ウェスタウン
大陸の南西部に位置するウェスタウンはかつてガンマンと呼ばれる男たちがいたころ栄えていた。しかし、今では見る影もない閑散とした街である。 酒場通りの今では唯一となってしまった酒場・アイアンカーペで働くウィイトレス、サニー・ピンクはてんやわんやの大忙しであった。 普段なら日が暮れたころにかつてはガンマンだったとかいう街の娘と所帯を持って根を下ろした贅肉たっぷりの腹をした男たちが数人ていど仕事終わりに立ち寄るだけなのだ。 それがまだ真っ昼間だっていうのに街中の男も女も子供も、それこそ全員と言っていいくらいの人間が集まっているのだ。 今日は何か特別な日なのか。ある意味ではそうかもしれない。 少し話はずれるが、この大陸の歴史は人間と魔物の戦いの歴史である。 大陸の三分の二ほどを治める人間は残りの西部を治める魔物たちの恐怖に常にさらされていた。 人間界と魔界を隔てる魔の森周辺は特にひどいものであった。 ここウェスタウンも大陸西部に位置するわけだが、乾燥した荒野地帯ということもあってか魔物の手が伸びることはなかった。 だからこそガンマンの聖地として成っていただろう。 しかし、近年の魔物活性化に伴いとうとうウェスの街にも魔物が姿を見せたのだ。 それが今朝のことである。 そうだというのに呑気に呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしているのはなにも最後の宴というわけではなく、この窮地を救ってくれたバスターを歓迎してのことだった。 * さらに遡って昨晩のことだ。 こんな廃れた街に旅人風の親子がやってきた。 父親らしい男は大人でも見上げるほどの背で黒いつばの広い帽子に、これまた黒いロングコートを着ていた。背中から剣の柄がのぞいていて、その上から砂塵よけのボロ布を纏っているのが妙であった。 姉らしい青い目をした髪の長い少女と弟らしい腰に剣を携えた少年がその後についていた。長い旅だったのか子供のほうは疲れた顔をしていた。 お世辞にも男と子供は似ているとはいえず、街の者は人売りかと訝しんで見ていたが、子供は男になついているようなのでそういう考えは消えた。 男たちを街で一つのという聞いたようなフレーズの宿屋に案内し、旅の話を肴にすれば夜はふけていった。 東の空から太陽が顔を出し、肉髯が異様に大きいニワトリが「コケコッコー」と鳴くのがいつもの風景なわけだが、早朝の街に鳴り響いたのは女性の悲鳴であった。 悲鳴をあげたのは酒場で働くサニー・ピンクであった。 通りのむこうに魔物の姿を見れば、サニーがそんな声をあげたのも無理ないことだ。 テナガとか呼ばれる魔物で、上半身に肥大した筋肉を持つかわりに下半身が短く、名前の通り手が異様に異常に長く、体長は三、四メートルある。体型がアンバランスで足が極端に短いせいで鈍足であるが、獲物をみつけると手を地面に付け、足を持ち上げて走る。時速60キロを維持して数時間走れるというのだから驚異的である。 しかし、彼女は運の悪い女である。テナガを見て気でも失っていればおそらく見つかることはなかっただろう。 二者の距離は五メートルほどであったが、目の弱いテナガはその程度の距離であってもサニーの姿を見ることはできなかっただろう。 代わりに耳がいいから、といっても街中の寝ている人を起こすほどの声であればいい、わるいなど関係がないのだろうが、うっかり悲鳴なんてあげてしまえば気づくのである。 テナガは両腕を地面に叩きつけると、その反動を利用してジャンプした。膨れ上がった筋肉に彩られた腕力は五メートルの距離などわずかと言えるもので、一度のジャンプでサニーの目の前に降り立った。 大砲の鉛玉が地面に落下したような重たい音が響き、砂埃を巻き上げる。その落下の衝撃はサニーの体を少しだけ浮かせた。 それだけで彼女はまいってしまって腰を抜かしてしまう。 それを見ればテナガは高く短い笑い声をあげて嬉しそうに手をたたくのだ。 サニーも運が悪いだけではない。酒場で仕事をしていたことと、その二階が街ゆいいつの宿屋だったということはこの上ない幸運であった。 またなにかがサニーの前に降り立った。テナガではない。それよりもずいぶん小さくサニーには見えた。全身黒ずくめである。 それが振り返ってサニー言うのだ。 「大丈夫かい? お嬢ちゃん」 帽子を押さえるように片手を添えて、気取って口の端をもちあげて笑った。しかし、帽子をかぶってはいなかった。 ようやくサニーは上から降ってきたのが昨日の旅人の男だとわかった。名前をバッツとかいったな、と思い出しながら口をぱくぱくとさせた。答えようとしたのだが声がでなかった。 かわりに頭をぶんぶんと振れば、バッツはまた笑って、それからテナガに向き直った。 対峙する両者。ただ睨み合っているだけである。睨み合っているというのも変な表現である、この場合。 なぜなら両者は正対してこそいるものの、バッツはテナガを見据えながらも、その表情には笑みを浮かべている。 そりゃあ、テナガは悪魔や魔人というレベルの魔物ではない。極端な言い方をすれば動物が異常成長した結果のようなものだ。が、その異常発達した腕力は軽く振るうだけで人間の頭など破裂させる力がある。それこそ風船をわるように簡単に。 そういう存在であるにもかかわらずテナガは萎縮したように背中を縮こまらせていた。その瞳にはバッツが驚異的な存在にうつっているのだ。 しかし、その動物的な本能の感じ方は正しかった。 本来ならば捕食者と非捕食者の関係であるテナガと人間だが、バッツとテナガの二者間においてその立場は逆転していた。 バッツは背中に手をやり、なにかを掴もうとしたが、その手は空気を握るだけであった。 「おろ?」 本来ならその背には大剣を担いでいるのだが、悲鳴に飛び起きて急いでやってきたのでベッドの脇に忘れてきたのだ。 そういう情けない失態は生物として威圧感というものを減退させる。 ならば、その隙をついてテナガがバッツへ襲いかかった。 突如。銃声が鳴り響く。 テナガは攻撃の動作をやめてその場から飛び退く。弾丸はテナガのいなくなった空間を飛翔した。 サニーが音のほうへ振り向けば、酒場の戸口に子供が銃を構えて立っていた。バッツが連れていた少女だ。その背後には少年も立っている。 「ナイスフォローだ、ロザリー」 「まったく。お師匠様は気を抜き過ぎなんです」 ロザリーと呼ばれた少女はあきれたように肩をすくめた。 バッツより遅れてロザリーが駆けつけたのはなにも着替えていたからではなく、武器を手にしていたからだ。 だからこういうことも言われる。 「しかーし! 女の子がネグリジェのまま外に出るのはよくないな」 そういうバッツの父親ぶった言動は現状には似つかわしくないと感じるのがロザリーであるし、少年パニッシュでもあり、酒場娘のサニーでもある。 弾丸で退けたものの魔物は健在であるのだからそう思うのが当然と言える。 しかし、バッツは背後にテナガの存在を許したままロザリーを叱りつけていた。 動物的考えれば背を見せるというのは死と同義的である。にもかかわらずテナガが襲ってこないのはすでにさっきの隙は消え失せていたからである。 むしろテナガには逃げ出したい衝動すらあった。が、バッツからでる気のようなものを感じる動物的本能があれば身を固くして動けないのである。 「やっちゃいましょうよ」と言ったのはパニッシュだ。 それを制しつつバッツはサニーを向く。 「襲われたのか?」 その質問に反射的に頷きそうになったサニーであったが、バッツの目が視界に入ってその行動を制止させた。真剣な目をしていた。そういう彼女の洞察力は見た目とは違い賢さがあった。 よく考えたあと、サニーは首を横に振った。驚かされはしたが、直接的に危害をくわえられてはいない、というのが彼女の結論である。 バッツは頷くとテナガを振り返った。その時の彼の表情はサニーらから見ることはできなかったが、一目散に逃げていったテナガの反応をみればおおよその予想はついた。 しかし、サニーらのほうに向き直ったバッツの顔は頬の緩んだおっさんのそれであったから、彼女らのその予想は確信にはならなかった。 バッツは尻餅をついたままのサニーを抱きあげると、 「年上は嫌いか?」 なんて真面目な顔で言うのでサニーはナニ考えてんのかと頭を疑うのであった。 物事には余韻というものがある。抜けたところもあったが、かっこよく窮地から救ってくれた男だ。好き嫌いをまた別の話とすれば、惚れないわけがない。それこそ種を貰いたいと思うくらいには。 ただ、それもこれも余韻を与えてくれたらの話である。空白の時間が現実に幻想をくわえてくれるのだから。 浸らせてくれる時間さえくれたのならサニーのほうからバッツの部屋を訪ねることもあったろうに、こうも即物的といえばいいのか、軽くナンパをされれば気分は冷めるというもの。 そういう乙女の機微をわからなければ、たとえハンサム顔でもモテようがなく、サニーはがっかりするのだった。 思考は顔にもあらわれるので、バッツはさらに言葉を口にする。 「なんだ、その。いい男だと思うんだが」 あわてたように取り繕うのでサニーはくすりと笑う。若く見積もっても二〇代後半ていどに見える男のそういう態度をかわいいと思えるのが若い女だ。 「ま、いいでしょう。減点もあったけど助けてもらったんだし。この街にいるあいだくらいならつきあいましょう?」 「そう言われればずっといたくなる」 「ふふ。口ばっかりですね」 本気でないのがわかる声音だった。 すると、バッツの前にぬっとロザリーの顔がつきだされた。 「お師匠様!」 その顔はむくれている。とはいってもロザリーがバッツに恋心をいだいているという話ではない。 「カトレア様というかたがいながらなんなんです!?」 「なんです?」と聞いたのはサニーだ。 バッツは視線をそらしつつ、「妻だ」と答える。 さすがにサニーも驚いて、大きく開けてしまった口を隠すように手をあてた。 「でも、一晩や二晩でやいやいうるさい女じゃあ英雄の妻はつとまらないでしょう」 サニーは平然と言ってのけた。 ロザリーはそんな彼女を親の仇でも相手にしているかのように睨んでいる。事実、カトレアは育ての親のようなものだから間違った表現でもない。 同じ境遇のパニッシュが何も言わないのは話の内容についていけてないからだった。純粋な少年にはわからないのは当然のことだ。 「しっかーし! お前の気持ちもわからないじゃあないが」 いつまでも死んだ人間を想うというのは美徳だ。道にそった美しい生き方かもしれないが、それが必ずしも最良とは限らない。心を停滞させたままでは前には進めない。もちろんそれは愛したカトレアを忘れるというわけではない。 しかし、子どもにそんなことをバッツが言えるわけもなく、口をつぐむしかない。 「だったら自重してください!」 腕組みをして困った表情をみせていたかと思えば、バッツはとつぜん天をあおいで叫んだ。 「カトレアー! お前だってわかってくれるだろーう!」 それから耳をすます。とうぜん返ってくるものはないのだが、 「ほら? カトレアもいいって言ってるじゃあないか」 冗談めかしてバッツは言うのだが、本当にそんな声が聞こえた気がした。そういう女だったと理解していた。いつまでも死んだ自分を想われるよりも、子どもやバッツ自身のために前に進んでほしいと考えるような女だ。 ところが子どもにとって母親は絶対的な存在だから、父親が次の女に走るというのは許せないのだ。幼ければなおさらのことだ。 ましてしんじつ愛しているわけじゃあなく、ゆきずりの関係ではロザリーの拒否の仕方もとうぜんのことだ。 しかし、カトレアをなくしたのはロザリーたち子どもだけでない。バッツもそうだということはまだ幼いロザリーにはわからないのであった。 サニーはパニッシュに寄って行き、訊く。 「あの人ていつもあんな感じなの?」 全身黒ずくめでキメておいて、三枚目な物言いは違和感を覚えさせた。 「えー、なんだっけな。たしか、コミカルよりシリアスのほうが仕事がくるとかなんとか」 ちぐはぐで平坦なパニッシュの言い方は覚えたことをそのまま口にしているだけで言葉の意味まではわからないといった雰囲気だった。 * そういうわけで話を聞きつけた大人たちが集まれば宴会になるのは至極自然のことだ。 「しかし、そりゃあ人間業じゃあないよ。一喝しただけで化物を退治しちまうなんてよう」 麦酒を片手に赤らんだ顔で男が言う。 パニッシュは得意な顔をして机の上にあがると、一同の注目を集めた。 「そりゃあそうさ! なんたって俺のお師匠さんはあの『古龍殺し』の異名を持つ大剣のバッツなんだよ! あんな猿に手がはえたような魔物なんて敵じゃあないさ!」 「おお」とどよめきの声があがる。けれど、その声は続かず、別の男が「なんだい? そりゃあ」なんて言うから、パニッシュはあきれ、驚いて机から落ちてしまう。 パニッシュは後頭部をさすりつつ、四方を囲む街の大人たちを見て言う。 「おいおいお。本気で言ってるの!? 大剣のバッツだよ? お師匠さんより有名なバスターなんていないんだから!」 かつてはガンマンが入れ替わり立ち代わり街を訪れていたから情報の集まる場所でもあったが、ガンマン文化が衰えてからのウェスタウンは荒野の田舎町でしかない。 隣町まで馬車で二、三日かかるような場所であれば外の出来事に疎くてもしかたがなかった。ましてこのご時世に魔物がでたのが今日が初めてという街なら、魔物退治専門の冒険家、バスターのことを知る必要がない。 その反応はパニッシュにとっては予想外であった。どこの町を訪れた時もバッツの名前を知れば尊敬の目でみられていたからだ。こころなしかロザリーも不満そうな表情をしている。 「北方のソリャートの町は知ってるだろう? ゆきのきれいな大きな町だ」 行ったこともないのにパニッシュはそういった。 「言われればそういう話ありましたね。ドラゴンが城を巣にしちゃったっていうのが」 眼鏡の男が言った。 「そう! それなの! ソリャートの荒城に城を覆うほどのドラゴンが住み着いてさあたいへん!」 北方の雪国ソリャートの荒城にドラゴンが住み着いたというのは有名な話だ。滅多に魔の森をこえてはこないドラゴンが荒れ果てたとはいえ人のいた場所を住処とするのはめずらしいことであった。 城の中央にある背の高い塔を巻きつけるようにして眠るドラゴンの寝息だけで家々の屋根が吹き飛び、羽ばたきでもすれば一〇棟の建物が全壊するというものであった。 町の人間たちはお金を出し合い名のある冒険家に退治を依頼した。それがバッツである。というのは嘘だ。その頃のバッツはまだ無名の若者でしかなかった。 依頼されたのは小男の兄と大男の弟のバスター兄弟であった。その実力は折り紙つきであった。にもかかわらず兄弟は荒城から帰ってくることはなかった。 それからは有名な兄弟がやられた話を聞いて名をあげようと多くの冒険家たちがドラゴンへ挑んでいったがやはり帰ってくるものは一人としていなかった。 この話は北方の王の耳にも入り、大規模な討伐隊が組まれることになった。国軍の兵士と冒険家で構成された混合隊。そのなかのひとりがバッツであった。 「討伐隊は多くの犠牲を払いながらも最後の一人がドラゴンの首もとまでたどり着いたのです。それが私のお師匠様だったんです」 いつのまにか説明をしているのはロザリーに変わっていた。 「そしてお師匠様はその背に背負う身の丈ほどもある聖剣カオスを振るいドラゴンの首をたたき落としました。古龍の咆哮が天地を震わせたそのとき、大きな犠牲を払った戦いが終わったのです」 こんどこそ本物の歓声があがり、大人たちの視線はバッツに集まった。それを受けてバッツが軽く手をふれば酒の回りもよくなる。 酔い潰れた男が床で四人も五人も寝始めた頃、酒場の戸がキイっと音をたてて開いた。 一同の視線がそこに集まったと思えば、入ってきた男はそのまま倒れこんでしまった。