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第一話 プレ

 
 
 その日はとても暑い日でした。ぎらぎらと光る太陽はまるで怒っているよう見えました。
 わたしはお母さんのくれた麦わら帽子をかぶって、町の入口にある大きな木の下でお歌をうたいながら遊んでいました。
 するととつぜん噴水広場のほうから大きな声が聞こえました。すぐに別の大きな声も聞こえてきます。
 よせばいいのに好奇心旺盛なわたしは何をやっているのか気になって広場にむかいました。
 そこにある光景をみてわたしはさっきの声が悲鳴だったのだとようやく気づいたのです。
 広場にはたくさんの異形な姿をした生き物がいて町の人達をおそっていました。あるものは尖った耳を持ち、あるものは背中から蝙蝠のような翼がはえ、皆一様にオリーブドラブを濁らせたような肌と醜い顔をしています。
 わたしはそれまでそんなものを見たことがありませんでしたが、お母さんから人間を食べてしまう怖いやつがいるのだと聞いていたのでひと目でそいつらが魔物だということがわかりました。
 気配を感じたのでしょうか。一匹の魔物が振り返り、わたしと目があいます。すると、にいっと口の両端をもちあげて笑うのです。わたしはその顔がおそろしくて足ががくがく震えました。
 そして次の瞬間、魔物はわたしにむかって走り出したのです。
 わたしは必死で走ります。懸命に足を動かしました。食べられてしまいたくなかったからです。
 でも、わたしの小さな足ではすぐに追いつかれてしまい、背中を押されわたしは転んでしまいました。
 そんなわたしの様子がおかしかったのか化物はけたけたとお腹をかかえて笑っています。
 逃げるチャンスだと思いましたがわたしのからだは動いてくれません。
 笑うのをやめた魔物は一歩一歩、わたしが恐怖におののく様を楽しむようにゆっくりと近づいてきます。
 三メートルとない距離でしたが永遠にも感じられる時間をかけて近づいてくるのです。
 あんまりも長いので本当はずっとずっと遠くにいて、その距離が縮むことなんてないんじゃないかと錯覚し始めたころ、そんな儚い期待を打ち砕くように魔物はわたしの目の前にたったのです。
 頬まで裂けた大きな口をめいっぱいあけ、わたしをまる飲みにしようとします。
 わたしはおそろしくて、おそろしすぎて目を瞑ることもできません。
 そして魔物が唾液と息がかかる距離までやってきます。
 とつぜんでした。魔物はどさりと地面に倒れたのです。
 ふっと太陽の光が遮られ、わたしの体は影におおわれました。
 顔を上げたわたしの目にはおおきなものがうつりました。それは魔物ではありません。魔物よりもずっと大きかったけれど、人間だとわかりました。
 二メートルをゆうに超える大男です。つば広の黒い帽子に足元まである裾長の黒いコートを着ていました。
 倒れている魔物を見てわたしはこの人が助けてくれたのだとわかりました。
わたしは嬉しかったのに大男は悲しそうな顔をしてわたしを見るのです。
それから大男の手がわたしの顔に伸びて、やさしくわたしのまぶたをとじてくれました。
わたしはもう死んでいたのです。
助かったと思ったのは間違いで、わたしは死んでいたのです。
きっと魔物に突き飛ばされたときにはもう死んでいたのでしょう。
だから大男は悲しそうな顔をしているのです。
大男はその丸太のように太い腕でわたしをやさしく抱き抱えると広場のほうへ歩き出しました。
 噴水広場ではまだ虐殺が続いていました。
 そして、わたしの目は噴水の向こうにとんでもなく恐ろしい光景を見たのです。
 角を生やした魔物がいまにもわたしのお母さんに襲いかかろうとしていました。
 わたしは叫びました。その声は誰にも聞こえませんでしたが、お母さんを助けてと叫びました。
 いちじんの風が広場を吹き抜けました。
 そしてついさっきまで反対側に立っていた大男は角の魔物の真後ろに立っていたのです。
 さらに驚くべきことに魔物の頭がその首から落ちたのです。首から血がふきだしていましたが、驚いたのはそこではありません。
 なにが起きたのかまったくわからなかったのです。お母さんも同じなようで目を見開いています。
 なにが起こったのかわかるまで時間はかかりませんでした。
 右方から別の魔物が大男に襲いかかってきました。
 大男は魔物を見もせずに腕を振りあげ、そして振り下ろしました。
 すると魔物の体は真っ二つに裂けてしまいました。
 大男の手を見ると大きな、男の身の丈ほどもある巨大な剣が握られていたのです。
 この大きな剣をまるで風のような速さで操り、魔物の首を落とし、体を真っ二つにしたのです。
 お母さんが男の腕の中にいるわたしに気づきました。
 お母さんは男を見ます。大男は首を横にふりました。
 お母さんは大男からわたしを受け取ると、その場で泣き崩れてしまいました。
 わたしが慰めてもその声はお母さんの耳には届きません。
 大男はわたしたちのそばから離れ、魔物たちを倒しに行きました。
 それから一時間としないうちに全ての魔物を狩り尽くしたのです。町のそこらじゅうに魔物の肉片と血がぶちまけられ、運悪く殺されきれなかった魔物は町の大人たちにスコップや農具でリンチにされていました。
木でできた大きな十字架が広場にたてられ、そこに魔物が磔にされました。それから大人たちが集まって、磔にされた魔物の腕や足を各々の武器で刺すのです。頭や心臓を刺さないのはすぐに殺さず、傷めつけるためです。
夫な子供、恋人を殺されたのですから、その程度のことで怒りがおさまるということはありません。行為は次第にエスカレートしていき、とてもわたしの口からは言えないようなことをしはじめました。
わたしのお母さんはそんな光景をじっと見つめています。わたしが殺された恨みを一緒に晴らす気なのだと思いました。
でも、わたしはお母さんにそんなことをしてほしくありません。
だって、わたしの目には大人たちの姿も悪魔のように見えたんです。だからといって、それで魔物に同情するということはありませんでしたが、そのような行いをお母さんにしてほしくはありませんでした。
お母さんは膝の上に寝かせていたわたしを抱きかかえ、立ち上がると、わたしのまぶたのうえに手をかぶせたのです。わたしの目はとじていましたがきっと大人たちの行う凄惨な仕業を見せたくはなかったのでしょう。
わたしはそんなお母さんがうれしくなると同時に、もうおかあさんとおはなしができないのだと思うと悲しくなりました。
死んでしまったわたしの目からは涙がこぼれることはありませんでしたが、わたしの頬を雫がつたいます。お母さんの目からこぼれた涙でした。
広場から出ていこうとするお母さんは何かにぶつかり、そこにはさっきの男が立っていました。
体中を血に染めていましたが、そのすべてが魔物のもので、男は怪我をしていませんでした。
 お母さんはさっき言いそびれたお礼を言おうとしたのですが、戻ってきた大男に気づいた大人たちが駆け寄ってきて、そうすることはできませんでした。
 男のまわりを囲む大人たちはさまざまな表情をしていました。
 助けてくれたお礼を言う人。家族を殺されてしまい理不尽な言葉を男にぶつける人。いろんな人がいましたが、なにを言われても男はずっとうつむいて悲しい目をしていました。
 それから大男は町長さんのお礼をしたいという言葉をきかずに町を去っていったのです。

 これは後から知ったことなのですがあの大男は冒険家だったそうです。それも魔物退治を生業とするバスターだったのです。
 名前はバッツと言って、ある人がその名前を聞けば誇らしげに彼のことを語り、ある人がその名前を聞けばいちもくさんに逃げ出す。そういうすごい人だったそうです。
 わたしは棺桶に入れられて、土の中に埋められてしまったのでバッツがその後どうなったのかは知りませんが、きっとどこかでまた魔物退治を――いいえ、人助けをしているのでしょう。






sage
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