アキラの入学式
6 体調が良くなれば入学式というものは退屈だった。じっとしたまま何分も何十分も誰だかわからない人の話を聞いていなければならない。 しかし、退屈だからといってあくびをしたり眠たくなるということはない。アキラにとってはじめての体験だから心が落ち着かなかった。 まして講堂内は新入生と教師、来賓でいっぱいになっている。生徒ひとり分のスペースは少し動けば前後左右だれかの袖と自分の袖がすれるという程度しかない。むしろこちらのほうがアキラにはつらいものがあった。 コトリと軽い音が響く。背後からしたその音に反応してバッと素早くアキラは振り返る。女生徒と目が合った。 彼女は軽くアキラに笑いかけて、 「いやね。そんなに驚くことないじゃない」 そう言いながら落としたリップクリームを拾い上げた。 それでもアキラの顔はこわばったままだった。 一つ息をついてから前に向きなおると視界いっぱいをチワの顔のどあっぷで埋め尽くされた。彼女の頭の両側の髪を結んで作ったぼんぼりが見えないくらいの距離だ。 鼻の頭がぶつかる。いつのまにそんなに近づいたのかという距離にまでいるからアキラをまごついて一歩さがった。 「どうして?」 アキラの問いかけに対して、 「だって私が一生懸命話しをしているのによそをむいてばかりいるんだもの。少しの音くらい気にしないで私を見てなさい」 と、答えた。 どうやらチワはアキラの「どうして?」を「どうして怒っているの?」みたいな意味にとったらしい。 たしかに前に向きなった時のチワの顔は少し怒っているように見えた。怒っているというほど大げさでもなく、「ちょっと不満よ。こっちみなさい」というくらいか。 チワは感情ではっきり表情が変わるからほんの短い付き合いのアキラにも大雑把には彼女の気持ちを読み取ることができた。 だからチワが解釈したほうのどうしても気になってはいたけれど、今アキラの発したどうしては違うことを聞きたくて言ったどうしてだった。 どうしてそんなに近づくの? どうしてそんなに近づけるの? 今朝だってチワはいつのまにかアキラのまうしろに立っていた。 けれどそれを訂正するために話の腰を折るのは気が引けてそのままですましてしまう。 「それでそいつったらね」 チワはアキラも含めた数人のクラスメイト相手に中等部のときにあった話を聞かせていた。 なんでも魔法式学の教師が「やなやつ」だったらしい。ちょっとしたことですぐに罰を与え、時には折檻することもあったという話だ。 チワは元気がいいから目立つ生徒であったというし、魔法式学は赤点でないほうが珍しかったというからたいそういびられたそうだ。 ほとんどが内部からの進学者であるにもかかわらず話を聞いているクラスメイトの態度は二通りあった。 一方はその教師に受け持たれたことがあるようでチワの話に頷きつつ調子をあわせて悪口を言っている。もう一方は受け持たれたことがないらしく「噂は本当だったのね」とか「あの先生が。少し意外だわ」とか言っている。 アキラはといえばそのどちらにも属していない。というか属せないのだ。外部から入学してきたから顔も知らない人間の話をされてもさっぱりだった。 それでもチワの語りようには引き込まれるものがあった。アキラの注意をひくように何度も目線をやるのだ。ちょっとよそ見をしているとチワの頬はすぐにぷっくり膨れるからアキラはずっとそっちに集中していなければならなかった。 「思い出すのもおぞましいあの罰はね。そうね。あんな罰を思いつけるのは人間じゃないからなんだわ。だってあんな拷問は中世史のどんな書物にだって載ってやしないわ。そうよ。邪神フェムトの使いだって考えたほうがずっとしっくりくるわ」 チワがそんな風にその教師を評してもクラスメイトたちはキャッキャとはしゃいでいる。とうぜん本気にしておらず「言いすぎよぉ」ていどの反応だった。 うらはらにアキラの中にはずいぶんとおそろしい像ができあがりつつあった。 「私は胆をなめて長い間、耐え忍んできたわ。そしてとうとう復讐するときがきたの!」 中等部の卒業式の翌々日。三年間積もり積もったものを晴らすべくチワは行動に移した。 そして彼女の話は佳境に入っていく。話す方も聞く方も力が入る。 だというのにどういうわけかアキラの気は削がれていた。 はじめは蚊帳の外だったけれどチワの語りに乗せられてアキラ自身つづきが気になって仕方がないのにだ。 なんというか耳元をコバエが旋回しているようなそんな感覚だった。 一度、チワから視線を外して後ろを向く。 なんとなく名前を呼ばれたような気がしたからだ。 けれどすぐ後ろの生徒はまじめに壇上へ視線をむけている。もっと後ろにいるヘータはアキラの方を向いてやしない。そもそもアキラたちはチワのおはなしに耳を傾け盛り上がっているが式典の最中なのだから遠くから大声をだして呼ぶというは考えづらいことだった。 気のせいかな、と首をかしげるアキラ。そろそろチワの視線が痛いので話しの輪に戻ろうとしかけたとき今度は確かに名前を呼ばれた。 「新入生代表挨拶。鏑木アキラ」 それは講堂内のすみずみまで行き渡るように増幅された大きな声だった。 うつろうつろしていた生徒たちが肩をビクリと震わせて跳ね起きるような音量だったのでおしゃべりに夢中のチワたちもさすがに気がついた。 「あら、アキラちゃんと同じ名前ね」 「名前だけじゃないわ」 「苗字も同じよ」 そんな風に顔を見合わせてくすくすと笑うのだ。 入学式の司会を務める某によって呼ばれた「鏑木アキラ」を彼女たちがアキラだと思っていないようにアキラも同姓同名の別人だと考えていた。 鏑木という苗字はさして珍しくもない。ましてアキラなんて名前言うまでもない。 「男の子かしら?」 「女の子かもしれないわ」 アキラという名前はどちらかといえば中性的な名前だからクラスメイトたちは「鏑木アキラ」の性別を予想し始める。予想することにたいして意味はない。だれか答えを知っているわけではないし、「鏑木アキラ」が壇上に姿を現せばすぐにわかることだ。ただすでに同じ名前のアキラのことを知っているから話のたねにしてはしゃいでいるだけのことだ。 「私は女の子がいいと思うの」 そう言ったのはチワだ。 彼女の言は予想ではなく希望だった。 「どうして?」と輪の中のひとりが訊く。 「だってアキラちゃんは男の子だってわかっているんですもの。だから女の子がいいじゃない。そうしたら一粒で二度おいしいわ。アキラちゃんが女の子なら話は別だけれどそうじゃあないでしょう?」 そう言ってチワがアキラへ話をふる。 もちろんアキラは男だ。それは誰が見たってわかることだ。どちらかといえば中性的な顔をしているかもしれないし耳のカフスはカマ臭いアイテムかも知れないが、女性的な線の細さではなく男性的な硬さのある体躯をしている。というかそんなところを見るよりも男子生徒用の制服に袖をとおしている時点でお察しである。 とうぜん問い方がそうであるようにチワだってアキラが男だということはわかっている。単純にアキラへ話をふるためのプロセスでしかない。「あなたはどう思っているの?」とアキラの意見を話させるための誘い水だ。 アキラは少し考えてから、 「男がいい」 と、言った。 アキラもまた予想ではなく希望だった。 「どうして」とチワが尋ねる。 アキラが答えるよりも早く女生徒が口を開いた。 「気持ちわかるわ。だって異性に話しかけるのは勇気がいるものでしょう」 それに呼応して別の女生徒が頷く。 「そうね。チワさんみたいに軽くやってのけられればいいのだけど」 「お友達になるのならやっぱり同性の方がいいわ」 アキラには彼女たちの理論の展開がよくわからなかった。アキラが「鏑木アキラ」に話しかけるのを前提で話を進めているフシがある。 アキラの勘違いならそれでいいのだけれどそうでないなら後でめんどうになりそうだという予想はつく。「女の子」が集まってできるパワーはかなりのものであるということはおしゃべりの様子からなんとなく理解していた。 しかしアキラが尋ねるより頬をふくらませたチワが口を挟むほうがずっと早かった。また出遅れたわけだ。 「ちょっと待てよ! 私だって軽くやっているわけじゃあないわ。それにあなたたちだってアキラちゃんとお話ししているじゃない。そんなふうに見られるのは心外だわ!」 オカルイ女と思われていたなんて、という抗議だ。 「少し落ち着きなさいな。私達だってそんな風に言ったつもりはないわ」 「そうよ。チワさんは社交的で誰とでも分け隔てなく接することのできる人で、そんな凄いことをそんなつもりもなしにやってのけてしまうのがうらやましいと言いたかったの」 なだめるために本音に少し手心をくわえて厚くしたような、それでも確かにチワのことを尊敬している気持ちのある言葉だった。 彼女たちにそう言われればとたんにはにかむチワ。そういう褒められれば素直に受け止めることができるのがチワのいいところだ。 「あの」 「あらどうしたの?」 「男がいいって言ったのは話しやすいとかそういう意味じゃあないんだけど」 なぜか良い話みたいな雰囲気が漂っているのでアキラは遠慮がちにちいさな声で言う。 中性的で男女どちらにも使われる名前だとわかっていることと、実際に同名の(その上、同じ苗字の)の女の子がいるということは別問題で、なんとなく気持ちが悪いものがあった。 「あら。そんなふうに言ってはダメよ。これからお友達になる相手なのに。いいイメージを作らなきゃ」 「いや、だから」 「でも新しい生活の一日目からチワさんやもうひとりのアキラさん。ご縁がたくさんあっていいわね」 名前が一緒だというだけでそれは縁なのだろうか。アキラにはわからなかった。しかし、その場にいるアキラ意外の者は全員が縁だと考えているようであった。 『鏑木アキラ、前へ』 そんな話をしているうちに一回。そしてまた一回呼ばれる。 それでも姿を現さないのであればもうひとりの「鏑木アキラ」説は疑わしくなってくる。 「やっぱりアキラさんのことなのではなくて」 「そうねぇ。三度も呼ばれて気が付かないということはないでしょうから」 「でも代表挨拶は首席合格者がやるものと決まっているのではなかったかしら?」 彼女たちはさっきまでの冗談ではなくて真面目に考えはじめた。 「あら、それではアキラさんがそうでないと思っているみたいじゃない」 「そんなこと言っていないでしょ」 そう言って彼女はツンと顔をそらせた。 真面目と言っても彼女たちなりの真面目である。 「それでアキラちゃんは入試の成績はどうだったの?」とチワが尋ねる。 けれどアキラは首をかしげるだけだった。 「じゃあ成績開示には行っていないの?」 合格発表の後に手続きをすますとテストの結果を教えてもらえるシステムだがアキラはそんなものがあることを今知った。となればとうぜん行っていない。 「でも私たちよりはきっといいはずよね」 前に言った通り内部進学生の査定は甘い。その分なのかどうかはわからないが外部からの入学者に対しては辛い。一定以上の成績を修めなければ合格にはならないのがテストだがその一定がかなり高い位置にあった。 その一定を超えて入学してきたアキラがそれなりに優秀であることはわかるが、成績開示をしていないというアキラの言では首席かどうかの判断はつかない。 またもうひとりのアキラ説もありがちな名前であるだけに否定する絶対的な理由も見当たらない。 結局、手持ちの情報では結論に至ることができないということに一同がちょうど気がついたころだ。 前方から生徒の列をわって近づいてくる人の影があった。丈長のスカートにベールをかぶった修道服のような魔導着を着たブロンドの女性だ。魔導着はまあ、魔導師の正装だとでも考えてもらえれば結構だ。 その教師と思しき女性がスルスルと生徒の合間を縫ってアキラやチワのかたまりのそばにまでやってくる。アキラは自覚しないうちに一歩さがっていた。 教師はアキラの目の前までやってくると 「いらっしゃい」 と言って彼の腕をとった。 その瞬間、アキラは相手の腕を振り払い、軽く飛び退いた。 アキラの過敏な拒絶反応に目を丸くしたのはなにも教師やクラスメイトたちだけじゃあない。アキラ自身があるいは最も驚いているかもしれなかった。 アキラと教師の視線がぶつかる。教師の瞳にはやや驚きが残っているもののそれ以外の感情をアキラが読み取ることはできなかった。チワほど表情の区分がはっきりとしていればいいのにと思う。 見つめているうちに相手が怒っているように思えてくるのはアキラの気持ちが弱っているせいだろう。 なにか言わなければと思いつつも口が動かない。 水がとうとうと流れるように時間だけが過ぎていく。 とうとうアキラはばつが悪くて視線をそらした。 黙って見守っていたチワがすかさずアキラの前にでる。そのさまは姉が弟をかばうようであった。体の大きさ的には妹が兄をなのだけれど、チワのほうが二歩も三歩も先をいっているのでやっぱり姉が弟をと表現するべきだろう。 「違うんです。違うんですよ、先生」 まあしかしチワのほうもうまく言葉を紡げないでいた。 「アキラちゃん少し緊張してるみたいで。だからたくさんおしゃべりしてたんですけどあんまり効果なかったかな、なんて」 乾いた笑いを浮かべる。 「あ、私の話じゃなくてですね。だから先生が厭だったとか悪気があったわけじゃあないんですよ」 うまく擁護できずいるチワを見て教師はほほえんだ。それを見てアキラはチワの背中に隠れるように体をちぢこまらせた。 「入学式から仲がいいのね。大丈夫よ。少し驚いただけだから」 それから教師はチワの肩先から顔を出して覗いているアキラのほうへ目線を移して、 「さ、鏑木くん。ついてきて」 そう言って手を差し伸べた。とは言っても先ほどのようにアキラの腕をつかむためにだされたわけではなく、行動をうながすためのものだ。 動かずにいるアキラの代わりにチワが訊く。 「あの、アキラちゃんが代表挨拶ってことですか?」 教師の首が傾ぐ。 「呼び出しは聞こえていたのね?」 「だってそんなに珍しい名前じゃありませんし、だいいちアキラちゃんがなにも知らされていないっておかしいじゃないですか」 「知らなかったの?」 教師がアキラを見て訊く。チワと話をしていたのに急に話をふられたからびくつきながらも彼はうなずいた。 「そう。変ねえ……」 手のひらを頬にあてながら言った。 それから軽く手をはたいて、 「とにかく押しているからついてきて」 と、反転して歩きだした。 それを黙って見ているだけのアキラにチワが言う。 「大丈夫よ。怖くないから」 「わかってるよっ」 「なら、はやくいきなさい」 文字通り背中を押されてようやくおずおずと歩きだしたアキラの背中にチワの「がんばってね」が歩みを力強くさせた。