校門の前で
鏑木アキラ。現在十五歳。 この春から魔導学園高等部に通うことになっている新一年生であり、そして今日は晴れの日。入学式だった。 しかし、学園の門の前にまでやってきたところでなかなか最初の一歩を踏み出せずにいた。 巨大なアーチ状の黒い門。門の両側にある石を切り出した門柱。その上に鎮座する二対翼の守護獣の石像。そしてその先に広がるどこまで続いているか予想もつかない広大な敷地。 立派すぎる門扉は部外者には威圧感を与えるのだ。 はじめて訪れる人間が尻込みするのは仕方ない、と自分に言い聞かせた。 そんな風に門の前で五分ほどだろうか。たじろいでいると突然。背中を思い切り叩かれた。 驚いて振り向いたがそこに人の姿はなかった。左右も確かめてみたけどやっぱり誰もいなかった。 「いたずら妖精のスプーキーでもいたかな」 と、ひとりごとをつぶやいた。 そう。誰に言ったわけでもないのだ。だけどその言葉には返事がかえってきた。 「だれがいたずら妖精よ! 失礼しちゃうわ」 その声は少し下の方から聞こえてきた。 目線を下げるとそこには少女がたっていた。 視界に入らなかったからといって手のひらサイズというわけではなく、小学生くらいの背丈はあった。 ただここは高等部校舎へつながる校門なわけだからそんなサイズを想定していなかった。そういうわけできっとはじめに振り向いた時も少女の頭の先くらいは見えていたのだろうが、無意識に排除されたのだろう。 しかし、どうしていきなり背中をたたかれたのだろうか。 いたずら妖精ではなかったが、やっぱりいたずらではあったのだろうか。このくらいの歳の頃はいたずらばかりしておばあちゃんに怒られたのを思い出した。 ただまあそう考えるとじゃっかん違和感があるような気がする。 どうしてわざわざ高等部校舎へ? という疑問だ。 ページをパラパラとめくる程度しか見なかったのではっきりとは覚えていないが、入学案内に載っていた敷地図では高等部と初等部の校舎はそれなりに距離が離れていたと思う。 いたずらをするためにここまでやってきたと考えるよりは迷子になってこんなところに来てしまったと考えるほうがより自然なと思われる。 それでたまたま見かけた人間に声をかけた、いや、背中をたたいのだろう。 しかし、困った。敷地図なんておぼろげにしか覚えていないからこのちいさな女の子を初等部の校舎まで案内してやることはできない。 「悪いんだけど迷子なら別の人にあたってくれないかな。くわしくなくて初等部の校舎がどこにあるのかわからないんだよ」 目線を少女に合わせるようにしゃがんでなるべく優しい声でゆっくりと言った。 言ったつもりだったのだが、少女はとつぜん怒り出した。そりゃあもうすごい勢いで。 「初等部? 初等部ですって!?」 顔中真っ赤に蒸気させ、両手をぶんぶんと振り回す。 俺を殴ろうと言う気でやっているわけではなさそうだが危ないので一歩さがった。 しかし、なにがそんなに気に触ったのかわからない。フンカコビトの怒り様だってこの少女よりはまだましだろう。それくらいの激しさだった。 「フンカコビト〜!?」 少女の口からその言葉がでてようやくしまった、と思った。 どうやら考えが口に出ていたらしい。 少女の怒りのボルテージは二倍、いや三倍、それ以上にふくれあがって怒声とともに攻撃呪文を唱え始めた。 ちょうどその時。 「なーにやってだ? 入学式早々」 と、男が間に入ってきた。こちらは自分とそう背が変わらないので同い年だろうとすぐわかった。すくなくとも初等部ではありえない身長だ。 どうやら少女と男は知り合いらしい。兄妹だろうか。 「だって! 聞いてよ。だってね! 初等部よ? 私のこと見て初等部って言ったのよ? わたしは彼が校門の前で尻込みしているからきっと入りづらいのだと思って親切で背中を押してあげたのにこの仕打ってあると思う?」 ふんふん、と男が相槌をうつ。かすかに肩が震えていた。 「それだけじゃないのよ。よりにもよってフンカコビト。私のことをホビット族だって言うんだから!」 少女がそう言ったとたん、男はブハッと息をはき腹をかかえて笑い出した。肩が上下していたのは笑うのをこらえていたらしい。 少女は少女で笑い事じゃないわよ、とますます声を荒らげた。 ひとしきり笑ったあと男がこっちを振り向いた。 「いやあ、あんた面白いこと言うね。グッドだよ、グッド。そりゃ千和もいろいろあだ名されてきたけどホビット族ははじめてだろうよ」 そう言ってまた笑い出した。 別に笑いを取るために言ったわけではないので答えようがない。しかし、見たまんまを言っただけだ、なんて言えば少女はまた怒り出すだろうから黙っているのが正解だろう。 少女がふうっと息をついた。 「もういいわ。同い年の子の背が私よりすこしばかり大きいのは事実だし、寛大なリアー神のような心で許してあげましょ」 小さいとは口が裂けても言いたくないらしくわざわざもってまわった言い方をした。 しかし、慈愛の女神リヤーとその妹であるところの戦乱と淫奔の女神リアーではだいぶ違うと思いながらもそのことは口に出さなかった。だってまたキャンキャンと言われそうだから。 「私は内海チカズ。親しみを込めてチワって呼んでくれていいわ。でもチワワはやめてね。私、あの犬きらいなの」 やっぱり小さいからだろうか。 「それとね。私もあなたと同じ新一年生、高校生なの。次、小学生と間違えたら……わかるわよね」 俺はだまってうなずいた。 「ところでなんでチワ?」 「私の名前ね。千枚通しの千に和睦の和で千和なの。だからチワとも読めるでしょ?」と、説明してくれた。 男のほうも笑いながら自己紹介してくれた。 「俺ちゃんは長野兵太。まあ、親しみを込めてヘータくんとでも呼んでくれ」 今度はこっちの番らしくふたりは俺をじっと見たまま待っている。 「えっと。鏑木アキラ……です」 それで終えるとふたりは同時に「あだ名は?」なんて言う。 そんなことを言われても困る。おばあちゃんには『あーちゃん』とか『あきちゃん』とか呼ばれていたけど、できれば同い年の相手にそんな風に呼ばれたくはない。かといってほかにあだ名らしいものなんてない。 しばらく黙り込んでいるとふたりはあわれなものを見る優しい目をして言った。 「あだ名がないのね。なんてかわいそうなの!」 「そりゃあかわいそうだ。きっと友達がいなかったんだな」 「やめなさいよ、兵太! そんな風に言うのは。カブちゃんが傷つくでしょ」 「いーや、俺にはわかるね。ラギっちがそれくらいで傷つくわけないって。だって中等部の三年間、あだ名をつけてくれる友達もいなかったのにこうして元気でいるんだから」 ふたりは好き勝手言う。 「でも大丈夫。なんたって俺ちゃんが今日から友達だものな、カブ」 と、長野くん。 「出会いはよくなかったけど私だってもう親友だと思っているから安心していいのよ、ラギっち」 と、内海さん。 「あーっと。そのカブちゃんとラギっちってのは?」 ふたりは声をそろえて 「もちろんあだ名でしょ!」 と言った。 できればそう呼ぶのは遠慮願いたかった。 「そう。気に入らないのね。じゃあ、アキラちゃんと呼ぶわ」 しゅんとうなだれた内海さんが言った。 それでもあきらめずに 「今にきっと気に入るあだ名を考えてあげるから」 と付け加えたのは聞かなかったことにした。